久々の外の空気を、身体いっぱいに吸い込む。
陰鬱な、かの施設から逃げ出して、私の妻を自称するあの女をまく事に成功した安堵感を、うーんと伸びをして全身に行き渡らせる。
この”肉体”に変換させられてから、ずっと監禁生活だった為、”肌”で感じる爽やかな風に感動も一入だ。
しかし、とりあえず森を出て最寄りの町に辿り着いたはいいが、なにぶん”歩く”という行為自体に慣れていないのですぐくたびれてしまった。
そこそこ賑わっている広場のベンチに腰掛けて、人々の往来を眺める。
かつて魔性の戦斧であった頃の様に非情になろうとは思えなくなっているのは、人々が醸し出す雰囲気や熱気を肌で感じ取れるようになってしまったからだろうか。
武器ではなくなって、残ったのは何かと不便なこの”身体”。
道具としてしか生きられないにもかかわらず、その価値すら失った自分は……一体どうすれば良いのかと頭を抱える。
思い出されるのは、自称私の妻─アバの事だった。
強さも何もかも亡くした私の何がいいのだろう。
監禁紛いの扱いではあるものの、甲斐甲斐しく私の世話を焼き、嬉しそうに身を寄せる妻(自称)が不思議でならない。
そもそもこの様な状態になったのは彼女のせいだが、私のかつての鍵の様な形状を気に入っていたはずにもかかわらず、人造の身体となった今でも側にいるのは何故なのか。
彼女が私に求めるものはもう持ってはいないのに……。
俯いて考え込んでいると、「少し、宜しいですか」の声が頭上から降ってきた。
顔を上げれば、そこには見覚えのあり過ぎる人物が困り顔で立っている。
金の髪に、白を基調とした格調高い制服、携えるは雷を操るつるぎ。
思わず表情が引き攣る。
「な、何でございましょう?」
「いえ。あまりにも思いつめたご様子でしたので、何かお困りなのかと……」
「そっ、そんな事はございません」
「そうですか……それにしても、この鎖は……っ!!?」
彼の目線が、私の首元、に付けられた首輪に向くのが判り、取り繕おうとするが時既に遅し。
「ま、まさか監禁!? 一体誰に」
あぁ、なんかデジャヴだなぁと現実逃避でもしたくなった。
「あ!あの、これはですね、そのぉ……違うんです」
合意の上……では決してないが、どう説明すべきだろうか。
「逃げて来られたのですね。ご安心ください、署で保護します」
と言って、彼は逡巡している私に手を差し伸べた。その瞬間。
「パラケルスに触るな!」
ペシっと軽い音を立て、救いの手をはたいたのは、案の定アバだった。
私の腕にしがみつき、敵意も顕に警察の彼を睨みつける。
「あ……貴女は……えーと?」
見覚えがあるのかアバをじぃっと見つめる彼に対し、私を後ろに隠すように立ちはだかるアバ。
「また奪いに来のね…… 絶対に渡さないわ……!」
「え?」
既に臨戦態勢のアバを見て、戸惑いつつも剣を抜く警察のひと。
「……どうしても戦いますか?」
「やられる前にやり返すっ!!」
Let’s Rock!!
……とはならなかった。
「し、失礼しましたぁーーー!!」
アバを後ろから抱き上げて、全速力で逃げる。
ぽつんと残された警察のひと、カイ=キスクは。
「えー……えと、大丈夫なのでしょうか」
そういえばあの二人、以前どこかで会ったような。
首を傾げつつも、パトロールに戻るのだった。
「危なかった…!!」
人のいない町外れでアバを下ろし、座り込む。
「……どうして逃げたりしたの?」
息をきらしている私に問いかけるアバは、心底不思議そうに首を傾げながらも、懐から予備の包帯を取り出して私の汗を拭ってくれる。が、
「こんな状態で戦えるわけないだろうが!」
と思わず怒鳴ってしまう。
「……あたし一人で、戦うつもりだったのに」
「無謀にも程がある」
“武器”も持たずに、聖騎士と戦うなど。
尤も、彼なら生身の女性を手にかけることはなさそうだが。
「……だって。あなたが奪われてしまうと、思ったから……」
「このような私を奪う奇特な方などおりません」
アバのあり得ない心配に頭が痛む。斧時代にはあり得なかった経験だ。
このような、に念を入れてきっぱり言い返した私の言葉に、アバはきょとんとした。
「……居るわよ。だって、こんなに素敵なひとなんだから」
素敵?一体何を言い出すのだ、と目を丸くする。
素敵なわけがない。こんな、鋭利な刃も持たず、それどころか攻撃を受ければ造り物の血を流し、強者に蹂躙されるだけであろう脆い存在が。
今だってアバを連れて逃げただけで消耗している。
戦えなければ意味がない。
「……どうしてそんな風に思えるのですか。貴女は、もう自分の身さえ守る事ができないのですよ? 戦えない武器なんて棄ててしまえばいいのに……!!」
俯いて座り込んだまま言葉を吐き出す。声が震える。あぁ、なんて情けない。
「……」
言葉が返って来ない。それもそうか。自分の弱さを棚に上げてやつあたりするような男、見限って当然だ。
刹那。
ふわりと、やわらかな何かに包まれた。
膝立ちになったアバが、私を抱きしめているのだと気付くのに、少しの時間を要した。
人造生命特有の低い体温が、じわりと私の肌に染み込んでくる。
その温度は、私の胸中に在る”何か”を融解させるのに十分過ぎた。
「……っ」
ぐすっと鼻を鳴らす私の顔を覗き込んで、アバは花の様に表情を綻ばせた。
そして言う。
「あなたは、あたしを初めて認めてくれたひと。武器の使い手として、とは言っていたけれど、それなら、あなたの魔力であたしを操り人形にしてしまえばいいじゃない?でもあなたは、そうはしなかった。ありのままのあたしが、そばに居ることをゆるしてくれた」
台詞の途中から、アバの声にも涙が混じり始める。
私は既に取り繕うこともできないくらいに泣きじゃくっていた。
「それがね、とっても嬉しかった。強いあなたも素敵だけど、あの姿だと、優しいあなたが誤解されてしまってつらかった。独りよがりで、ごめんなさい。もう、わがままは言わないから、元の姿に戻してもらうから、だから、」
……最後に、キスしてもいい?
アバの決死のお願いに、思わず微笑ってしまった。
「えぇ、よろこんで」
血の色があまり差さない、存外ぽってりとした口唇に自分のそれをそっと重ねる。
その時だった。
ボウンという小さな爆発音とともに、私の”肉体”は失われた。代わりに、あの懐かしい金属の重みが帰ってきて、思わず瞠目する。
アバも相当驚いたのか、声も発さずにぽかんとこちらを見上げてくるだけだ。
ふたり顔を見合わせていると、近くの茂みからがさりと何かが飛び出してきた。
すわ、戦闘か。望むところだ。とアバを隠すように少し移動する。この不便さ、懐かしい……!
現れたのは、私を改造したあの怪しすぎる施設の先兵だった。
身構えていると、おもむろにそのロボカイ、とか呼ばれていた先兵の、口と思われる部分がギギギっと嫌な音を立てて開いた。
そして、場にそぐわぬ程のんきな声が聞こえてきた。
『実験大成功ーーー!!』
「「は?」」
アバと声を揃えて疑問符を浮かべる。
『愛するひとの口づけで呪いが解けるなんて、ロマンティックだろう?そういう仕様にしておいたんだ!あ、ちなみにィ、姿はどちらにでもスイッチできる様になってるから、切り替えたくなったら、何時でも何処でもばんばんキスしちゃってねェ!』
聞き捨てならない台詞を吐いて、ロボカイはダッシュで逃げ出した。
「さ、さっきの声って……」
「あの怪しい科学者か」
とりあえずあの施設を破壊しに行こう、と思っていると、アバが私の首元(?)に繋がる鎖をくいくいと遠慮がちに引っ張ってきた。
「ね、ねぇ、さっきの話が本当かどうか、確かめてみましょうよ……!」
「え゛!?そ、それはつまり……?」
「キス、しましょう?」
んー、と顔を寄せてくるアバから身をよじって逃げながら、私は叫ぶ。
「婚前にそうそう接吻などできるかぁ!」
「大丈夫よぉ、あたしたち、もうとっくに夫婦なんだから」
「はっ、そうだった!いや、しかしですねぇ……あ、ちょっと近……っきゃーーーーー!!」
ボフンッ
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