お題:習慣ほど怖いものはない

ロボクロへのお題は『習慣ほど怖いものはない』です。

「おやすみ」
博士のこの言葉は合図である。何って、おやすみのハグとキスの、だ。
仮眠室の扉の前で律儀に待っているすっぴんの博士のもとに近づく。本当は嫌だが、そうプログラムされているので、足が勝手にそちらに向かってしまう。
博士の目前まで来ると、彼は黙って目を閉じ両腕を広げる。このまま放置してやりたいと思うがそれは叶わぬ願いだ。両腕を広げて博士に一歩近づき、彼の背に手を置く。
安心したように息を吐く博士の背を、ゆっくりと撫で下ろし、その動作を何度も繰り返す。こちらの背に両手を置いて同じようにしてくる博士の低い体温を感知すると、何だか不思議な気分になる。
実を言うと、博士の「合図」はこれだけではない。
たとえば「行ってらっしゃい」とか「おかえり」とか、「ありがとう」なんかも合図となって、ワシの動きを支配する。
合図のたびに抱きしめて、背中を撫で、額に口付ける。ワシに自我が芽生える以前からの習慣だ。
自我が芽生え、外の世界を学習していくうちに、自分たちのこうした行いに疑問が湧いた。だって、ワシは男で博士も男だ。普通、このような行為は異性間で、もしくは同性でも親子間で行われるものだと学んだのだ。
それにもかかわらず、博士は当たり前のようにハグを要求してくる。事実を知った当初は悩んだ。どうにかして、既存の関係に自分たちを当てはめられないかと考えた。
もしかして博士は自分のことを女性だと思っているのではないかと思い確認を取ってみるとあっさりと否定された。ではワシが実は女性型だったのではないかと訊ねてみたが、「オリジナルからして男性だろ」と笑って言われてしまった。
それならば親子か。素直にそう呼ぶのが憚られるくらいの駄目人間だが、ワシからすれば博士はれっきとした生みの親だ。この関係性ならば当てはまる、そう思ったのだが。
子であるワシが、親である博士を抱きしめてキスをする。…逆だろう。ワシが学んだ親子関係とは真逆だ。これではまるでワシが親ではないか。
そこまで考えてふと思い当たった。
博士は「甘えている」のではなかろうか。自分で作った生き人形に。
至ってしまった答えに、背が薄ら寒くなった。
だが、ワシの肩口に顔を埋めてすりすりと懐いてくる博士を見ていると、なぜかその感覚は和らぐ。あの博士が、何をするにも保険をかけまくって弱みを見せない駄目博士が、ワシには擦り寄って甘えている。恐らくはなんの企みもなく。ただ、子が親にするように。そう思えば、信じられないことだが、胸に積まれたエンジンがほのかに暖かくなるのだ。
その感覚を自覚して以来、ワシの悩みは合図が多過ぎることくらいなものになった。
だから今もこうして、大変不本意ながらもプログラムに従って動いている。断じてワシ自身の意思ではない。だが、博士がこのプログラムを削除しないでいるうちは、付き合ってやろうではないかという気でもいる。
しばらく思考に沈んでしまっていたらしい。博士が不満げにこちらを睨んでいる。
仕方のないやつだ、とほんの少しだけ下にある博士の額に口を押し付けようとしたその時、ラボの扉が勢い良く開いた。
「動くな!今すぐお前たちを連行す…え?」
駄目オリジナルがぽかんと口を開けて立ち尽くす。それもそうだろう。自分を模して造られたロボットとその作り手が抱擁しているのだから。目を白黒させる駄目オリジナルを尻目に、博士がもう一度合図を送ってきた。
「おやすみ?」
小首を傾げてそう言われれば、ワシに抗う術は無い。ごく近距離にあるその額に口付けると、呪縛は解けた。自由になった手にレプリカを握り、駄目オリジナルと対峙する。博士はと言えば、ひらひらと手を振って仮眠室へと向かってしまった。普通なら熱暴走を起こしてもおかしくない光景を見られたわけだが、その兆しすらない自分に驚く。
まったく、習慣ほど怖いものはない。

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