愛ある背負投げ

ある日の終戦管理局、の某支部。
その裏口に立つ二つの人影。
一人は血塗れの包帯で全身を包んだ赤髪の女。もう一人はこれといって特徴のない、気の弱そうな金髪の男。しかし彼の首には、ひょろりとしたその体躯に不釣り合いな、がっしりとした首輪が付けられていた。更にそこから伸びる太い鎖は、女の手にしっかりと握られている。妙な二人が、妙な建物の前にたむろしている。
女が歩きだそうと鎖を引くと、男はそれに抗うように身をこわばらせた。

「あのぅ、本当に行くんですか…?」
「うん…。もう歩くのにも慣れたでしょう…?」

男の方(パラケルスと呼ばれている)は、ほんの数日前まで人間の形をしていなかった。血を糧に能力を発揮する鍵型の生物闘斧だったのだが、包帯の女、アバによって彼女とお揃いの人造の肉体に変化させられてしまったのだった。

「それはそうですけど…。このような姿で出歩くなんて嫌です。」
「どうして…? こんなに素敵なのに…。」
「わたくしは斧です! 軟弱で賎薄な人間などではなく、その刃で万物を切り裂く斧、それがわたくしなのです。それなのに…!」

もともと意外と誇り高い性質であり、斧として振るわれる事を生きがいとしていた彼にとって、なんの力も持たないこの姿は、ものすごく恥ずかしいものであるらしかった。硬質さも、重量も、自慢の鋭い刃も何もかも失い、後に残ったのは何ともひ弱そうな男の姿。その上首輪まで付けられて、威厳なんてあったもんじゃない。ついに言葉には涙が混じり始めた。
そんな彼を、アバが懸命に励ます。鎖を握り締めた手に、思わず力がこもる。

「大丈夫、鍵じゃなくなってもあなたはあなた…どこに出しても恥ずかしくない、自慢の旦那様だわ…!」
「─誰が旦那様だっ!! いいからさっさと元の姿に戻さんか!」
「そ、そんなぁ…。それじゃぁ、これから二人でささやかながらも温かい家庭を築いていく約束は…?」
「そのような約束、した覚えがございません…。とにかく斧に戻していただかないと…」

などと、人様の裏口で痴話喧嘩を繰り広げている二人に近づく一人の男がいた。終戦管理局の調査にやって来たカイ=キスクだった。

「貴女は…! こんな所で何をしているのですか。」
「「あ…。」」

まずいところを見られた、とパラケルスは思った。
アバ達は一度、カイと戦った事がある。パラケルスに肉体を与えられたらと、ツェップを訪問していた時の事だ。パラケルスに触れたカイを見て、夫を奪われてしまうと勘違いしたアバが、状況を掴みかねているカイに一方的に戦いを挑んだのだった。
だが、現在のこの状況。もしアバがまたカイに喧嘩を売っても、どうする事もできない。無抵抗の人間を痛めつけるような人物ではなさそうだが、場所が悪い。悪評高い終戦管理局にいる時点で、疑いをかけられてしまうかもしれない。もし戦いを仕掛けられても、武器を持たぬ彼女では応戦できない。

「また、お前か…。」
「貴女は終戦管理局の所属ではありませんよね? それならなぜここに…。そちらの方は…?」

カイは意外にも柔らかな対応をした。これならなんとか乗り切れそうだと、パラケルスは胸をなで下ろした。しかし。

「…!! また奪いに来たのか…!あなた、やってしまいましょう!」
「え゛!? 」

ちょ、ちょっと待ってください!!と、男たちの声が重なったと同時。いつもの様にアバは、持っていた鎖を肩に乗せ、パラケルスの足元を後ろに蹴りあげた。鎖がピンと張り、パラケルスの身体が背負い投げのように空中に投げ出される。そして、そのまま振り降ろされれば、敵を一撃のもと葬り去る筈だった。…彼の身体が、斧であったなら。

ゴギン、と鈍い音と手応えが鎖を伝わる。その音は、カイの耳にもしっかりと届いた。どさりと想定外に軽い音をたてて、その身体が地に落ちる。そして、自分のしでかした事に気づいたアバが、悲鳴をあげてパラケルスの上半身を抱き上げる。が、その頸は人間の可動域を超えて、ぐんにゃりとしていた。口からも夥しい量の血が溢れ出している。半狂乱になったアバがパラケルスの名を呼ぶ声で我に帰ったカイが、医者を呼んできます!と駆けていった。

その数日後。再び終戦管理局裏口。
そこには、包帯を巻いた女と、巨大な斧の姿があった。その女、アバは斧の柄(人間でいうなら丁度首の辺り)に巻かれた包帯を、労るようにそっと撫でた。斧は、居心地悪そうに顔をしかめている。

「もう、痛くない…?」
「はい…。」
「ほんとに…?」
「…というか、なぜ急に元に戻したんですか?」

あの後、カイが呼んできた闇医者の治療を受けて奇跡的に命は助かった。医者曰く、普通なら即死だったらしい怪我も、この数日で完治している。人造の身体が異常に頑丈だったのと、医者の腕が非常に優れていたためだ。しかし、あの瞬間から先程目覚めるまでの記憶が、トンでしまっていた。その為、斧に戻っていた事に喜ぶよりもまず、驚いた。人間の姿になったのを見て、あんなに喜んでいたのに、と。

「だって、もうあなたを失うなんて…考えたくもないもの…。」
「はぁ…。」
「苦しむ姿も、もう二度と見たくない…。」
「うーん…。」
「ごめんなさい…。本当にごめんなさい、あなた。」
「……。」

記憶にない事を謝られて何と返答すればいいか判らず、だんまりを決め込む。しかし、この一件で彼女が懲りてくれたのであれば、もうそれだけで良かった。とりあえず、目覚めた時から何度も謝罪されていい加減鬱陶しいので、何か言おうと口を開く。

「…もうよい。これに学んで、同じ過ちを繰り返さんならな。」
「…え」
「これからは、武器として我を大いに振るえ。」

ぶっきらぼうに言ってみれば、いつも以上に泣きだしそうだったアバの表情がほんの少し明るくなった。

「は、はい…! じゃぁ今度は、いつでも肉体とこの姿をスイッチ出来るような技術を探しましょう…!」
「ま、まだやるんですか!? 勘弁して下さいよおぉ!!」

猛抗議するものの、新たな目標を見つけたアバに、抗う術もなく引き摺られる。鎖がたてる軽い音と、斧自身がたてる重厚な音が、局内に響く。ホムンクルスと鍵の旅は、まだまだ終わりそうになかった。

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