鍵と好奇と吸血鬼

旅の途中、花畑を通りかかった。
この様な寒冷の地に珍しい、としばし足を止めて見入っていると。
「スレイヤーさまーーーー!!」
ガサガサガサっ!と花々を掻き分けて、一人の男が走ってきた。
…はて、誰だろう。そのひっくり返ったような声に聞き覚えがあるような、無いような。
などと考える間もなく、その人物は私の目の前まで辿り着いていた。しかし余程必死だったのか、勢い余って私に飛び込んでしまう。
「おっと」
「っぷわ! …はっ! も、申し訳ございません!! 」
土下座でもせんばかりに頭を下げてくるが、まあ、避けようともしなかったのは私だから、そんなに気に病むことも無かろう。それよりも。
「…失礼だが、どこかでお会いしたかね? 私の名をご存知のようだが…」
言いながら間近で眺めて、この男に既視感があることに気付いた。
と言っても取り立てて特徴のない男だ。真ん中できっちりと分けられたくすんだ金髪に、隈が目立つ丸い三白眼。否、四白眼か。服装にも目立つところは無い。
人間観察を趣味としている為、人の顔を覚える事には自信があるのだが、残念ながらこの様な男は記憶に無い。しかし、数少ない彼の特徴の中に私の目を引くものがあった。
「っあ、わ、わたくし…貴方とお会いした事など…」
首輪である。わたわたと取り乱す男の華奢な首に取り付けられた、強固な鉄の輪。更にそこから伸びる頑強な鎖がガチャガチャと音をたてている。私の視線が首輪及び鎖に向かっている事に気付いたのか、彼はだらりと胸前に垂れている鎖を慌てて背面にまわした。ひょろりとした男の容姿と挙動不審さも相まって、脱走してきた捕虜のような哀れさを醸し出している。
「そ、そんな事より! スレイヤー様、お願いでございます! どうか、わたくしをお助け下さいませぇっ!!」
過度な敬語。首輪。私はこの男を知っている。はて、私の記憶する限りでは、彼は人間ではなかったはずだがな。そして彼の傍らに必ずある筈の姿が無い。…おや。
「パラケルスぅーーーー!!!」
またしても花畑を掻き分けて駆けてくるのは、一人の乙女だった。男とは対照的に、こちらはなんとも特徴的である。顔を半分以上覆ってしまう赤毛に、頭部を真横に貫く鍵、全身に巻かれた血塗れの包帯。隈に縁取られた目元は今にも泣き出してしまいそうだが、想い人を見つけられた喜び故か、口角はほんの少し上がっている。そうそう、彼の隣には彼女が居なければな。
「ひぃっ!」
短く悲鳴を上げて、パラケルスと呼ばれた男は私の背後に身を隠した。余程恐ろしいのか何なのか、小刻みに震えている。さて、どうしたものか。
「これはこれは、久しぶりだな。アバ君。」
「……貴方は、き、吸血鬼の…」
「スレイヤーだ。覚えていてくれて光栄だよ。」
想い人しか目に入っていなかったのか、私の存在を認めるとアバはとても驚いたらしく目を見開いた。常なら気だるげな瞼に隠されている鮮やかな碧が、惜しげもなく晒される。しかし、それも長くは続かなかった。私を睨みつけるために細められてしまったからだ。
「……ま、またパラケルスを…。 …ひとの夫に手を出すなんて、許せなぁい…!」
「際どい発言はやめろ!!」
些か先走った彼女の台詞に、すかさず私の背後から声が飛ぶ。はは、相変わらずのようだな。
「安心し給え。生憎そういった趣味は持っていないし、何より私にも愛する妻がいるからな。人様の夫を奪ったりせぬよ。」
「……本当に? 」
「あぁ。それに今は、もっと興味深いことがある。」
言うと同時に背後を振り返ると、パラケルスと呼ばれた男はびくりと身をすくませた。

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