destrudo

想い人を抱きしめながら考える。
惚れたほうが負け、とはよく言ったものだ。
絶賛ボロ負け中のワシは、強請られるままあれよあれよと関係を結び、その回数を重ね、「いつか赤ちゃんがほしいねェ」などという戯言にぎこちなく頷く事しかできず、自分の不甲斐なさに悄気返るばかりなのに。
この想い人とは、ワシの生みの親である。そう、駄目博士だ。
そもそも兵器であるワシの股座に、あの妙な”改造”を施したところで気付くべきだったと言うか、それ以前にアクティブコミュニケーションプログラムの中に『恋心』とか言うふざけた名前のファイルがある事に疑問を持つべきだったのだろう。
ワシが初めて起動させられた時、そばに居たのは当然ながら博士だった。視界に映る風景の中に博士を認めた途端に、かの『恋心』ファイルが芽吹くように展開され、生まれたばかりで右も左も分からない当時のワシの胸中に、削除も移動も叶わない”こころ”が植え付けられた。
それからと言うもの、ワシは博士に接するたび疼く胸に疑問を抱きながら、またその疼きの原因を時折博士自身に訊ねてははぐらかされながら、何故か博士と自分しか居ない建物内で暫しの間静かな時を過ごした。
その生活の中で、ワシは未だ不便だった言葉の羅列で訊ねたことがある。どうして恋心なのか、と。勿論、CPU内の辞書プログラムで検索をかけてからだ。検索して、言葉の意味を知った上で理解できなかったのである。
博士はいつも覗き込んでいるモニターから振り返ってワシを見た。その顔には何の感情も浮かんではいなかったが、一応答えてはくれた。曰く、「それが最も制御しやすいと判断したからだよ」と。
この言葉も、良くは解らなかった。ただこの時点ではワシは、自分の中で着々と育っていく恋心が報われないのであろうと悟らざるをえなかった。”恋心が報われる”とはどういう事なのかも解らないまま。
この幼気でさびしい悟りが案外早とちりだったのではないかと思い始めたのは、ワシが初任務を終え、ボロボロの状態で帰還した日だった。
ギシギシと嫌な音を立てて四つん這いで移動するワシを見て、小さくひゅっと息を呑み一拍静止した博士が、あくまでも今思えばだが、ほんの一瞬泣き出しそうに表情を歪ませたのである。
博士は徐ろにワシの側にしゃがみ込み、目に見えて震える手でワシの状態を確認し始めた。主要なセンサーなどにダメージが無いことを確かめると、いくらか平静を取り戻した様子で予備のパーツを取りに離れて行った。
傾いだ視界の中のそんな後ろ姿を見送り、ワシは胸に積んだヘラクレスエンジンの温度が通常時より高くなったことを自覚しつつ強制終了した。
その日から博士は、ワシに対して少しづつ感情を表すようになっていった。
と言うか、明らかに執着を示すようになった。
任務の為外出を指示することは”なぜか”徐々に無くなり、ごく少数出入りしていた部下らしき人間たちも殆ど見かけなくなり、ワシが側にいないと眠れなくなり、且つ起床時にもワシが居なければ半泣きで建物内を探し回ったり、という有り様だった。
そんな博士との生活の中で、ワシの人格プログラム内のバグ(と博士は苦笑気味に、そしてどこか愉しげにそう呼ぶ)は順調に”悪化”していった。生まれたばかりの頃の生真面目一辺倒な性格はすっかり鳴りを潜め、博士への表面上の反抗もできる様になっていた。そして、博士の分離不安の悪化に比例するように、ワシに植え付けられた恋心も膨らんで行き、博士の束縛とも呼べそうなワシの扱いに悦びまでをも感じるようになった。
そんな暮らしの中で、当たり前のように博士とワシは擬似的な性行為に耽溺するようになって今に至る。
乱れたベッドの上、腕で胸元に閉じ込めた博士のつむじを見下ろす。ワシの視線に気付いたらしい博士はこちらをくりっと見上げて、「なぁに?」と問うてきた。ああ、これはワシにだけゆるされた甘やかしモードとでも言うべきうっとりするような口調だ。こういう時、ワシがとるべき行動は。
ワシは一度身を起こすと、ずり下がってまた身を横たえた。ちょうど自分の頭部が博士の腹部の辺りにくる体勢になる。そこでまたワシは腕を博士の腰に回して抱き締めた。
すると頭上から、愉しそうな笑い声がふわふわと落ちてくる。

「ふふっ、ロボは甘えたさんだねェ」

本当に甘えたいのはどちらなのかも、もはやわからない。それを言えばきっとこの関係は、博士は壊れてしまうだろう。それだけはわかる。だからこそワシは、最良の選択をし続ける。
博士の下腹部へと口づけを施して(とは言ってもワシには口唇が無いので、人形のような口元を押し付けるだけなのだが)、博士を見上げた。仄暗い化粧を落とした博士の目元は案外幼いというか少年のような輝きをほんのすこし宿していて、その両の眼を見開いてワシを見下ろす博士は、珍しく驚いているようだった。
一瞬選択を誤ったかと思って焦ったのも束の間、博士は泣き出しそうに微笑んで、ワシの髪をわしゃわしゃとかき混ぜ言った。

「……ッ。君が僕の”ソコ”に居た事なんて、無い筈なんだけどなァ」

この独白のような台詞にワシは小首を傾げて見せる。博士の言葉を理解できないのは久しぶりだった。自分の精神のみが過去に戻ったような感覚に陥る。ワシの視線から居心地悪そうに目を逸らした博士は苦笑しながら何も言わないでいる。なぜか痺れを切らしたワシは問う。

「デハ、何処ニ居タト言ウノダ」

率直な疑問をぶつけたつもりだったのだが、少し声色が拗ねたようなものになってしまい、気まずさと照れに思わず下を向いた。
だが博士はワシの質問に真剣に答えようとしているらしく小さく唸った。
暫しの沈黙の後、「あ!」と嬉しそうな声を出してワシの腕を持ち上げ、手のひらを博士の薄い胸元に持っていく。
そして悪戯っぽく微笑み、言った。

「ここ、かな」

想い人を抱きしめ直しながら考える。
惚れたほうが負け、とはよく言ったものだが、このひと相手なら、連戦連敗でも仕方がない。
何しろ相手は、ワシの生みの親なのだから。
日に日に痩せ細り衰弱していくこのひとと共に、この箱庭で朽ち果てるのも最良の選択なのかもしれない、と思ってしまう程度には、いま、幸福であった。

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