oblivion

クロウ博士は右目から桃色の花が咲く病気です。進行すると行動が幼児化します。花の蜜が薬になります。

様より

flower

駄目博士の右目に花が咲いた。

桃色の花弁はふんわりと幾重にも合わさり、駄目博士の右目を完全に覆い隠してしまっている。
はじめは小さな丸いつぼみだった。
それが次第に大きく育ち、七日ほどで大輪の花を咲かせた事には流石のワシも驚きを隠せない。
しかし、それよりも度肝を抜かれたのは駄目博士の振る舞いの変化だ。
つぼみが生まれた頃は、ワシの後をやけに着いて回るなぁ、と思う程度だった。だが、今では。

「ろぼー!」
「…何ダ、駄目博士」
「だっこして!」

このザマである。少し前までの駄目博士なら、今のように安易に甘えるような真似はしなかったし、平仮名だけで話すなんて事はしなかっただろう。駄目博士にも駄目人間なりのプライドがあって、他人に弱みを見せてなるものかという確固たる信念のような物すら持っていたように思う。それがどうだ。ワシ無しでは眠れない駄目博士なんて誰に想像できた?
つぼみがほころびだした日、駄目博士は一人では眠らなくなった。仮眠室から出てくるとワシの服の裾を握りしめ、「一緒に寝よう」と言ったのだ。意を決して、と言うよりは、思わずといった様子のその言葉に、驚いたのはワシよりも駄目博士のようだった。一瞬の後、駄目博士は視線を彷徨わせ、逃げるように仮眠室へ駆け込んだ。
次の日、目の下の隈をより一層濃くして仮眠室から出てきた駄目博士は、ワシの姿を認めると一直線にワシの腕の中に飛び込んできた。何事かと覗き込めば、穏やかに寝息を立てていた。右目の花は、六分咲きといったところだった。
その眠りから覚めると、駄目博士の言動はいよいよおかしくなり始めた。
あれだけ執着していたギア研究にも興味を示さなくなり、治療法の研究も放ったらかしで、機密書類に落描きをするようにすらなってしまった。なんの躊躇いもなくワシに一緒に眠るように強いるし、今のように気軽に抱っこを強請る。
床に座り込んでいる駄目博士を仕方無く抱き上げる。と言っても、身長はあちらの方が若干高いため、腕を引いて立たせるような形になる。なぜワシが駄目博士を抱っこしてやらねばならんのだとも思う。思うのだが、無視すると泣くのだ。誰がって、駄目博士が、びぇええんと。
ワシの腕の中できゃっきゃとはしゃぐ駄目博士をぼう然と見つめる。

「…マルデ子供デハナイカ」

enemy

硬くて寝づらいであろうワシの膝から、横へ少しずれて駄目博士の頭をそぉっと下ろす。その際に小さくぐずるように唸ったが、目覚める気配は無かった。
すやすやと寝息をたてる駄目博士を、殊更やさしく抱き上げると、研究室と隣接している仮眠室へと移動した。朝起きた時のままになっている乱れたベッドに駄目博士を横たえて、シーツをかけてやる。その寝顔は、自身が悪の組織の狂科学者であるという事実など、微塵も理解していなさそうな安らかなものだ。
備え付けの椅子に腰掛けて頭を抱える。『こう』なってしまってからというもの、駄目博士の世話に追われて、上からのミッションを一切遂行できていない。何より、♀の姿を追いかけるのがワシのライフワークであるにもかかわらず、それすらできていないのだ。起こるはずのない頭痛も起きよう。
駄目博士をひとり置いて任務につくことも考えはしたが、花開いていよいよ子供じみてしまった彼を危険物満載の支部に残していくのは取り返しがつかない気がして、実行はできなかった。だからといって上の連中に助けを求めるのは不可能だ。この支部やワシらKシリーズをよく思っていない者が多い事は残念ながらよく知っている。一人だけ、駄目博士の事を気にかけているらしい幹部がいるが、そいつに駄目博士の現状を知られる事は危険すぎる気がした。ワシの優れたセンサーが奴は駄目だと告げているからだ。
これからどうしたら良いのか、悩みに悩んでいると、隣の研究室からアラームが聞こえてきた。どうやら侵入者らしい。
……ついに見つかってしまったか。
支部の建物は複数ある。それでも移動しないのは、ひとえに駄目博士の安全を考えての事だった。今の彼を外に連れ出せば、警察機構に捕まるかもしれないし、最悪の場合暗殺も有り得る。そうなった時、誰がワシのメンテナンスをしてくれるというのだ。退行してしまった今でも、駄目博士は時々、思い出したようにメンテナンスをしてくれる。その手付きも次第に覚束なくなってきてはいるが、それでもまだあの頃の片鱗は残っているらしい。そうなれば、ワシにできるのは一つ、駄目博士を守る事だ。
よっこいせ、と立ち上がり、足音を抑えて扉をくぐる。
駄目博士の落書きや絵本代わりに読み聞かせている図鑑、研究資料が散乱した研究室から廊下に出ると、向こうから人影が近づいてくるのが察知できた。

「アレハ……」

警報が頭の中に鳴り響く。
紫煙を燻らせ、ゆったりとこちらに歩んでくるのは、人非ざるモノだった。
この数日、支部のダミー達がいくつも落とされていた。その原因が奴だったとするなら、あの異常な殲滅ペースも納得がいく。

「御機嫌よう。ここがゴールかな?」

パイプを手にぷかりと煙を吐き出す姿は余裕綽々といった様子で、あり得ないはずの冷や汗がワシの背を伝ったような気がした。

sentient

「ろぼ、そのひと、だぁれ?」

背後からその声が聞こえた瞬間、自分の迂闊さに思わず舌を打つ音声を出してしまった。
眼前の吸血鬼は気にしていられない。

「来ルナ、駄目博士!」

振り返って声の音量を上げると、扉から顔をのぞかせていた駄目博士はびくりと動きを止めた。
叱られた子供そのものの表情に、胸のエンジンが痛んだ気がした。

「やはりここだったか」

吸血鬼の声が場違いなほど悠々と廊下に響く。
メンテナンスも不十分な今のワシに勝てる見込みは一切無く、駄目博士を守ってやる事はできない。こうなったらあれしかないと瞬時に覚悟を決めた。
レプリカを投げ捨て、奴の前に膝をつく。錆びついたように動きがぎこちなくなるのは、恐怖ゆえか、プライドゆえか。

「…ふむ」

床に額をつける。以前駄目博士が「どうしても聞いてほしいお願いがあるときに使えるよ♪」とか言っていた、ジャパニーズ土下座だ。どう見ても屈辱的なポーズにしか思えなくて、一生使うことは無いだろうと思っていたもの。何より、駄目博士の為だけに(ひいては自分の為でもあるのだが)土下座している事に驚きを隠せない。ワシに泣く機能があるなら今頃悔しさで号泣しているはずだ。

「ドウカ、見逃シテクレ。今ノ駄目博士ハ正気デハナイ。…否、普段カラマトモデハナイノダガ……今ハ駄目ナノダ。ドウシテモト言ウノナラ、駄目博士ダケデモ…」
「ろぼ、どうしたの?どこかいたいの?」

駄目博士が駆け寄ってきて、ワシの横に座り込む。背中をさする手が優しいと感じる機能を、何故駄目博士は兵器であるワシに搭載したのだろう。

「………説明してもらえるかね」

思わず顔を上げると、飄々とした雰囲気は崩さぬまま目の前にしゃがむ吸血鬼の姿があった。

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「成程。随分とお困りのようだ」

吸血鬼が終戦管理局の研究室の椅子に腰掛けて頷いている。変な光景だ。
ワシの後ろでは駄目博士がおっかなびっくりといった様子で、吸血鬼を見やっている。

「退行は誰にでも起こり得る事だが、普段の君達の振る舞いを見ていると俄には信じられんがな」
「ナンナラ、何カ駄目博士ニ質問デモシテミロ。子供ガ答エラレル程度ノ物デナ」

言いながら、駄目博士の手を引いて、膝の上に横掛けに座らせると頭に巻いていた包帯を外す。おとなしくワシの膝に収まる駄目博士を見て、そして包帯の下から現れた大輪の花を見て、吸血鬼は「ほう」と感心したような吐息を漏らした。
これだけでも信じるかと思ったが、律儀なのか好奇心なのか、吸血鬼は膝に肘をついて前のめりに駄目博士を見つめ、いくつか質問を投げかけてきた。

「お名前は?」
「……、くろう」
「お年は幾つかね」
「さんじゅうにさい」
「…好きな食べ物などは?」
「ちょこれーととー、ろぼがつくってくれたおむらいす」
「出身は東だね?」
「しゅっしん?」
「あー、お家は?」
「ここ」
「…お仕事は?」
「?わかんない。ろぼ、おしごとってなぁに?」

くりんとこちらを向いて舌足らずに訊ねる駄目博士の姿を、吸血鬼はふむふむと頷きながらしたり顔で見ている。

「ははっ。本当に、お困りなのだね」
「笑イ事デハナイ」

ふんと無い鼻を鳴らす。

「まぁ、治療法はなきにしもあらずなのだが」
「ナヌッ!?本当カ!?」

吸血鬼は勿体ぶるように足を組んだ。

「あぁ。この病の治療には、その花の蜜が必要となる。とある場所の入り口に、その花と同じ物が群生しているのだよ」
「ド、ドコダソレハ」
「……率直に言おう。『バックヤード』だ」
「ばっくやーどダト!?」
「…その花は通称アブリヴィオン。その名の通り、宿主となってしまったモノは記憶を失くしていく。彼の言動が幼くなってしまったのは、それが原因だ。大方、バックヤードに手を出そうとでもしたのだろうな…」

そう言いながら、手近にあった資料の表紙を見て、「愚かな事を…」と言う吸血鬼の表情が少しだけ寂しげに曇ったように見えて、思わず凝視する。
ワシの視線に気づいたのか、吸血鬼は咳払いをすると、ワシらの方に向き直った。

「そのまま放置すれば、いずれは法力を吸い尽くされて死に至る。…まあ、多くの人類にとってはその方が良いのだろうがね」

そこで言葉を区切り珍しく溜息をつくと、吸血鬼が駄目博士に視線をやった。そしてワシにも。駄目博士は怯えたのかワシの肩元に顔をうずめたが、ワシは吸血鬼の試すようなその目を、じっと見返す。

「君にとってもそうだ。彼は君を創りはしたが、それは君を利用していい理由には必ずしもならない筈。君は彼の下から独立したがっていたではないか。ならば、見捨ててしまうというのも一つの手だとは思わんかね」
「フザケルナッ!!コノママデハ大イニ困ル!駄目博士ガ居ナクナッタラ、誰ガワシヲ直スノダ?」

勢い良く反論したはいいが、次第に気恥ずかしくなって声の音量が下がっていく。

「ソレニ……」

今のようにワシに甘えているようでは、駄目博士は本当に駄目人間になってしまう…。
吸血鬼はパイプを咥え腕組みをして「つまり寂しいということだな」と、見当違いな解釈を口にした。

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