「あの時のおまえ、ちくわぶみたいだったな」「んだとコラァ」




「そういえばお前、そんな感じだったなぁ」
ガラにもなくどこかしみじみとした声でバリーは言った。
その視線はちょうど彼の前方斜め下辺りで固定されている。そこには水色の三日月、のようなものがあり、意思を持っているのかバリーの台詞にクイと少しだけ傾いた。
「今何か失礼な事考えてるだろう」
三日月が言葉を発する。視点をずらせば、おもちゃのロボットのような体の上に三日月が載っかっている事が分かる。つまりこれはこの人物の頭部にあたる。
三日月、もといキースというこの魔物の子は、目の前に仁王立ちしている同じく魔物の子であるバリーに思い切り倒された過去がある。と言ってもそれは、三日ほど前の出来事であるが。
このふたりは、魔界の王を決める戦いに身を投じ、ほぼ同じタイミングで魔界に帰ってきていた。
とてつもなく気まずい別れ方をしたにもかかわらず、数日後には何食わぬ顔で家に訪ねてきたバリーを、キースは眉間に縦皺を刻んで出迎えた。そこに冒頭の台詞だ。キースはバリーの研磨された体を見上げ、嫌味っぽく言う。
「敗北者の家にわざわざ何の御用かな。誰かさんのお陰で、一ヶ月は絶対安静なんだが」
そんなキースをあらゆる意味で高みから見下ろしつつ、バリーは口角を上げた。
「まあまあ元気そうじゃねえか」
「あちこちガタがきてんだよ。今だって膝が笑いっぱなしだ」
確かに、よく見ればキースの足元は覚束なく、今も玄関ポーチの柱に寄りかかってやっと立っている。
そんな彼を腕組みをしながら見つめていたかと思うと、あろう事かバリーは自分の腹辺り程の身の丈しかないキースを抱き上げた。彼の両脇に手を入れ、ひょいっと。
「……な、何をするッ!」
数秒の後思考がやっと追いついたらしいキースは当然ジタバタと暴れる。煩わしそうに大きく舌打ちをすると、バリーはキースの態勢を横向きに変え、その屈強な片腕で暴れる両足を掴まえた。
「絶対安静なんだろう?怪我にひびくぞ」
「お前が妙な事するからだろうが!今すぐ下ろせ!」
拘束されていないスプリングのような腕で、バリーの胸板を押し返そうとしながら怒鳴るキースだが、流石と言うべきか拘束はびくともしない。
弱っているのは事実らしく、キースはバリーの腕の中から逃げ出す事を早々に諦め、ぐったりと脱力し溜息をついた。
「一体何が目的だ。……本当に分からん奴だお前は」
「ただ確かめたかっただけだ」
「何を」
「さぁな」
珍しくはぐらかすと、バリーは勝手知ったる様子で瀟洒な玄関ドアを開いてその先の廊下を歩いて行く。装飾過多とも思えそうな螺旋階段を一段一段踏みしめながら登り、この家の子供部屋、つまりキースの部屋に辿り着くと主の許可もなくドアを肩で押し開けた。
天蓋付きのキングサイズベッドに部屋の主を横たえると、彼の様子をバリーは仔細に観察する。
そして満足げに鼻を鳴らした。
一連のバリーの奇行に心身ともに疲れたらしいキースは、ベッドに身を沈めながら黙っている。こうして無視を決め込んでいれば、飽きて帰るだろうと考えながら。だが、バリーは帰らなかった。それどころかベッドの端に腰掛けた。
そしてキースのちいさな足を掴んだり、かと思えば柔らかく握りこむとぱっと手を離したりしだした。キースは迷惑そうに視線をちらりと足元へ送るのみだ。何故かは分からない、分かりたくもないが、今ここで抵抗すると、もっとアレな目に遭うだろうという直感からだった。バリーはその後も、キースの身長を指定規で測ってみたり、自分の手のひらとキースの手のひらをくっつけて比べたりした。
しばらくなすがままになっていると満足したらしく、バリーはキースから視線を外しベッドに腰掛け直した。
「”あの”戦い、おまえがその姿じゃなくてよかったぜ」
そう独り言のように語るバリーの背中しか、キースからは見る事ができない。だが、彼の言わんとするところは、キースには痛い程よく分かっていた。
「私がもし、今の姿で立ちはだかっていたら、バリー、おまえは手加減したとでも言うんじゃなかろうな」
キースの剣呑な声が静まり返った部屋に響く。ごちゃついた物の多い印象の部屋だが、この時ばかりは装飾たちも鳴りを潜めている。
しばらくの沈黙の後、バリーは「は」と笑った。そして頭を抱え、折れた片方の角に触れる。
「どうだかな。アレは俺のライバルじゃねぇ。ただ宿主にとって都合の良い駒だ。だから本気にはなれなかった」
この台詞を聴いて、キースは体中の血液が沸騰するような感覚を覚えた。軋み痛む体を叱咤し、文字通りバネのように跳ね起きると、バリーの肩を掴んでベッドへと押し倒した。
「見縊るのも大概にしておけ。この私が相手なのだぞ。いつ何時でも全力で来い」
自分の腹の上に馬乗りになるちいさな好敵手を見、バリーはそれはもう愉快そうにニヤリと笑った。
「それくらいじゃねえと張り合いが無ぇと思ってたんだ。あの時のおまえは目は濁るし正気じゃねえし的がデカくなっただけだったし。本当は今すぐにでもおまえと戦いてぇが、生憎と俺も本調子じゃねぇんだよ」
だから、また今度な。
そう言いながら身を起こし、バリーはキースの背をその大きな手のひらでぽんぽんとやさしく叩いた。
「子供扱いするな」
バリーの手を払いのけたキースは、空いた方の手でにやけそうになる口元をおさえた。が、バリーには紅く染まるライバルの頬が見えている。
こういう時それを指摘するのは野暮なのだと、人間界でパートナーに教わったバリーは、キースと殴り合う時を楽しみにしながら黙って彼の背を撫でた。

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