こんなデカい猫、私の手に余る。でも好き。







猫だ。猫がいる。
その日私は我が”パートナー”ベルンが資料集めに古本屋巡りをしたいと言ったため、拠点としている町から隣町へと移動して来ていた。四軒目あたりでベルンが何やらお目当ての古本を見つけたらしく、店主のじいさんに興奮気味に質問をまくし立てているのを見て、これは長くなるな、と考えて店を出た。と言っても行くあてもないし、近くに魔物の気配もない。小遣いで買い食いをしようにもここは古本屋街。ベルンに習ったのでこの国の言語が読めないわけではないが、この時は詩も小説も気分ではなかった。どうしたもんか、と店先のベンチにすとんと腰を下ろしたその目線の先に奴はいた。
真っ黒な毛並み。 ふさふさの四つ足。揺れるしっぽ。三角の耳の先は少し折れている。そして何より目を引くのが、その瞳。日を浴びて縮小した縦長の瞳孔、その目つきの悪さが何だかデジャヴだった。

「おまえ、生意気な面だなぁ」

あまりにも暇を持て余すと、逆にちょっとテンションが上がる。普段なら言葉の通じぬ生き物に声をかけることなどないが、何となく無視するのも躊躇われて話しかけてしまった。当然ながら猫はそのまま路地裏にでも逃げ込むと思っていたのだが、何故かこちらに向かってするりと近寄って来た。人間の、それも大人用に作られているベンチは私には少し、ほんの少しだけ高いため、地に足つかずにいる私の足に、猫は頭をこすり付けてくる。このように動物に近付かれるのは初めてで正直戸惑っていると、店内からベルンがほくほく顔で出て来た。そして私の方を見て意外そうに目を丸くする。

「キース、おまえも動物を愛でるんだな」

「愛でてなどおらん。こいつが勝手に……」

言いかけたところで猫が『なぁん』と気の抜けた、甘い声を発した。通常なら可愛いと評価を受けるであろうソレを聞いて、私は少し腹立たしく思った。先程感じた既視感とのギャップを覚えたからだ。
私はベンチから飛び降りて、猫に指を突きつけて言った。

「その面で媚びた声を出すんじゃねぇ!」

私の怒声に驚いた猫は今度こそ路地裏に逃げて行き、猫派らしいベルンには割と強めに窘められたのだった。



あの時のデジャヴの正体が、今目の前で購買のかつサンドに齧り付いている。傍らには赤ワインのボトル、それも既にコルクは抜いてあり中身も半分ほどになっている。
私はランチボックスに詰め込んできたイモ天の一つをぱくつきながら、そいつ─バリーの酒で赤らんだ顔をまじまじと眺めた。こいつ色白だな……などと今更な感想を思い浮かべるが、やはり今気になるのはバリーのあの三白眼だ。
食事に夢中だったバリーがこちらの視線に気づいたらしく、猫の様な縦長の瞳が私を刺す。その鋭い視線はそのままに、バリーはワインボトルに手を伸ばし、徐に口元へと運んだ。勢いよく飲酒する間もこちらを横目に見てくるので居た堪れなくなった私はイモ天を飲み込んでから口を開いた。

「私、猫にキレちゃったことがあってな、」

「は?」

ボトルを空にしたバリーが疑問符を全力投球してくる。それを何とか受け止めつつ、続ける。

「せっかく懐いてくれたのに、その懐く姿が許せなくて……」

意味が分からんとでも言う様に、バリーが肩を竦めた。酔いも手伝ってか身振り手振りが大きい。そして私自身も自分の考えがよく分かっていないので、それ以上言葉を続けられなくなる。
数分間沈黙の中食事は進み、先に食べ終わったバリーが、腕組みをして何かを思案するように目を閉じた。
もくもくとイモ天を咀嚼していると、バリーがこちらににじり寄って来て焦る。やはりこいつの目は、視線は、凶器になり得る威力を持っている。あの猫は雰囲気こそ以前のバリーに似ているように思えたが、修羅場を乗り越えてきた今のこいつには似ても似つかない。
戸惑いも恐怖も隠せず固まっていると、バリーは凶悪な顔でにたりと笑んだ。そして。

「に゛ゃあ」

と、一声鳴いた。今度はこちらが「は?」となる番だった。
何だ今の。猫の真似したのか?バリーが?あのバリーだぞ、有り得んだろ。

「俺はおまえに懐いてる、にゃ」

言葉は通じるらしい。良かった、ただの酔っぱらいの戯れ言だ。そしてやはり残念なことに少し猫成分が混じっている。だが、これなら受け流せる、筈。

「酔いすぎだ、バカ者」

「懐いてなかったら、こんな事しないにゃ」

そう言うやいなや、バリーはそれこそ猫の様に目を細めて、私を押し倒した。屋上の床に後ろ頭を結構強かに打ち付けられ、「オギャン!」と声を上げる。そんな事はお構いなしに、バリーは私の腹に頬をすりすりとこすりつけてきた。角度によってはツノが微妙に刺さって痛い。かと思えば身をずり上げ私の顔中をぺろぺろと舐め始める。グルーミングか、生憎だが私は無毛だ。
振り解こうにも腕はがっちり固定されていて、足の間にはバリーの体があって満足に抵抗できやしない。
しかし酔っぱらい相手にこんな話しなければ良かったと思う反面、バリーの言動が嬉しい自分も居てどうしようもなくなる。結局のところ、私はバリーがバリーであるのならほかはどうでも良いのだろう。たとえ悪ノリをして猫真似で甘えて来ようが、それすらも可愛いと思ってしまうくらいには。

「こんなにデカい猫、飼った覚えは無いがな」

「俺をこんな風にした責任はとれ、にゃ」

凭れかかってくる愛しい体温と重みを受け止めてやりながら、「それはこっちの台詞だ」とこぼすに留めた。





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