俺とおまえとワインと葉巻



何だこの状況は。
学校の屋上で葉巻をふかしていたら、同級生兼かつてのライバルに背後から抱きしめられた。



最初は誰かも分からなかった為に、死角をとられた事に物凄く焦りながらも反撃に出ようとした。だが、ふわりと香った酒精で、この不躾過ぎる魔物の正体が否応なしに分かってしまった。
ええい離せッ!と騒ぎ立てても良いが、もし万が一他の者にこの状態の自分たちを見られでもしたら、転校も考えなくてはならなくなりそうだったのでやめた。
何より先程から抱きしめてくるこの元ライバルもといバリーの腕を掴んで力を込めているのに、テコでも動かないどころかより力が強くなる辺りで諦めざるを得ない。そういえば、人間界でのパートナーであるベルンが観せてくれた映画にこんな生き物が出てきたなぁ等と現実逃避をキメながら、とりあえず自分の胴に回された屈強な腕を引き剥がす努力は無駄だと匙を投げた。
元々単純な膂力では、バリーが勝るのだ。それを補う為に戦い方に工夫をこらしたし、使えるならその場にある小石や砂だって利用した。それでも一度だって勝てはしなかったが。
諦めがつくとなんだかどっと疲れたような気がして、その場にぺたんと座り込んだ。すると、既に身長差的に座らざるを得なかったらしいバリーが、キースを囲うように胡座をかいた。まずい、本格的にホールドされてしまった。
「……おい、バリー。いい加減にしろ。何のつもりだ」
「やっぱり落ち着くなぁ」
酔いの為か少し間延びした言葉尻に絆されそうになる。寸での所で踏みとどまって、言葉を探す。
「ッ、勝手に落ち着くんじゃない。酔っ払いの相手をしてやれる程私は暇じゃないんだ」
むすっとしながら言うと、キースの三日月形の頭に何かが載っかったような重みがかかった。現在の態勢的にバリーが顎を載せたのだと理解する。
体いっぱいに吸い込んだ葉巻の煙を吐いてから、抗議の声を上げようと口を開く。だが、バリーに先手を取られてしまった。
「やっぱりおまえはちんちくりんに限る」
この台詞を聴いてキースは葉巻をぎりりと噛み締めた。馬鹿にするのも大概にしろ!!と吠える筈だったのだが、またもやバリーにペースを奪われる。
「こっちの方がおまえらしい気がする」
暗に強化され体躯が急成長したあの時と比べられているのだと、言われなくとも判る。心の底から怒りや悔恨、羨望などといったどす黒い感情が溢れそうになるのをぐっとこらえる。
むにゃむにゃと夢見心地のバリーの言葉だ。本気にするだけ無駄だというもの。
そう自分に言い聞かせて紫煙を燻らせ、余裕を装う。
「ハ!バリー貴様、呑み過ぎて前後不覚にでもなってるんじゃないか?」
イヤな予感がしていた。なんだかこれ以上バリーに喋らせてはいけないような気がする。実際、次に続いた彼の台詞に、キースは度肝を抜かれた。
「そうかもな……おまえが可愛く見えるなんざ、酒のせいにでもしておかないとなぁ」
魔界に送還されて以降、静かな自信に満ち溢れていたバリーの声が、不安げに揺れる。
思わず吸いかけの葉巻を取り落としたキースは、振り返ろうとして自分を抑え込む青い腕の存在を思い出した。
相変わらずというか、むしろ先程よりもぎゅうぎゅうと全身で抱きしめてくるバリーの熱に、半分程鋼鉄でできた自らの身体が溶けだしそうな錯覚を覚え、キースは恐怖する。早くここから逃れなければ、今までのバリーとのすべてが融解していってしまう。そして二度と元の形には戻るまい。そう考えると余計に恐ろしくなった。
バリーの台詞に含まれていた形容詞は、同性、ましてライバルだった相手に向けて使っていいものではない筈だ。それを酔っているとはいえ口にしたバリーの真意が掴めない。やはり、恐ろしい。キースには自分の背後にいるよく見知っている筈の魔物が、得体の知れない他の何かに感じられた。
「……キース?」
いつもの減らず口が返ってこないことを不安に思ってか、バリーが名を呼ぶ。
その声音がまるで許しを乞うような、縋るようなもので、キースはハッとした。こんなバリーは見たくも聞きたくもない。だがよく通る低い声は紛れもなくバリーのもので、軽く混乱しそうになるのをこらえ、口を開く。
「バリー……酔っ払いの戯れ言に付き合うつもりはない。そして私のことは可愛いではなく、格好いいと言え」
声が震えるのは何故だろうと朧げに考えながら言い切る。可能な限り、”いつも通り”を装って。
その時、腕の拘束が弱まった。
逃れようと立ち上がったところで肩を掴まれぐるりと反転させられ、いつも見上げているバリーの顔を少しだけ見下ろす形になる。
ばっちり目があった状態でふたり揃って硬直する。
先にこの気まず過ぎる空間を壊したのはキースだった。
「は、ハハッ、訂正するつもりにでもなったか?だが生憎と私は次の授業は絶対に受けたいと思っていたんだ、だから、だから……、」
「泣くなよ……」
バリーが袖でキースの顔をぐしぐしと拭う。彼にしては珍しく、本当に珍しく、やさしく力加減を緩めて。泣いているつもりなど無かったが、拭われた頬が冷える感覚で確かに自分が涙をこぼしていたのだとキースは知った。同級生、しかも一応ライバルを謳っていた相手に泣き顔を見られて、思い切り赤面する。
「……泣いたのなんか生まれた時ぶりだ」
キースがぼそりと呟いた言葉に、バリーは少し微笑った。
「この前戦った時も大泣きしてたじゃねぇか」
「うるさいだまれッ」
顔を真っ赤にして涙声で言っても迫力は全く無いのだが、キースは気づかず声を荒げる。そのさまがまた子供っぽさを助長しているため、バリーはまた「やっぱ可愛いな」と後頭部を掻きながらボヤくように言った。
そして正面からキースを抱きしめ、あやすように彼の背をやさしく叩く。
一瞬抵抗しようとしたが、今更強がりもプライドも無駄だと悟ったキースは大人しくされるがままになる。
「バリー……おまえは、私のことをどう思ってるんだ」
「か」
「可愛いはもういい」
もっとあるだろう、好敵手だとか、ダンディな同級生だとか。
そう言い募ってはみたものの、バリーの体温が急に上がったのが如実に分かるこの態勢では、言葉にされるよりも余程彼の気持ちが伝わってきてしまう気がした。
一抹の気まずさを抱えて、キースはバリーの返事を待つ。
「正直……よく分からん」
「はぁ?」
この期に及んで自覚なしとかいい加減にしろよ、と思っていると、バリーは訥々と語りだした。
「おまえが俺をライバル視してくるのを、ずっと面倒くさいと思ってた。人間界で久々に会ったおまえがまだ俺に拘っていると知っても、その感情は変わらなかった。むしろ軽蔑さえした、つもりだった。だが、ああなっちまっても俺を追い求めたおまえを見て、なんて言うか……ん゛ー、」
健気だなぁって、思っちまったんだよ。
唸った後続けられたバリーのこの言葉に、キースは憤慨した。
「この大胆不敵なキース様が”健気”だとぉ!?」
ぷんすかと暴れようとするちいさな”ライバル”を抱きしめなおし、バリーは心底楽しそうに笑う。
「おう。おまえ、健気で可愛いやつだよ。オレ相手の時限定でな」
酔いも覚めてくる頃だろうに、未だに自分を離そうとしないバリーに、キースは大きく溜息をついた。
「あぁーもう、分かった分かった。おまえ、シラフになった時絶っ対後悔するぞ。盛大にネタにしてやりたいが証拠が無いからそれもできん。実につまらん」
「……そういうトコも、今はきらいじゃないぜ」
「素直にすきと言えんのか、この朴念仁め」
そう言いながら、キースはバリーの背に腕を回し、冒頭と同じ『何だこの状況は。』という感想が去来する心中を宥めすかして抱きしめ返す。その瞬間、バリーは年相応の少年の笑みを浮かべた。キースの、硬いがやわらかい身体から伝わる温もりが愛おしくて仕方がないというとびきりの笑顔だった。

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