朝食を、あなたと共に






花なんか別に好きじゃなかった。
だけどあいつ──キースが、「食卓にも彩りがほしいな!」とか言いやがるから、俺は朝が苦手なあいつに代わって花瓶の水を取り替えたりなんかしている。
ついでにケトルを火にかけ湯を沸かしつつ、花瓶を卓上に置いて、キッチンに戻りため息をひとつ。腰に手を当て「うーん」と唸った。どんなメニューにしようか、などと悩む必要がないくらいにはレパートリーの少なさを自覚している。いつもならこのくらいのタイミングで目をこすりながら寝室から出てくるあいつに全部任せる。だが、食事の支度はあいつの得意分野だからと丸投げしていたツケが回ってくるのが、今のように前夜あいつに少々無理を強いた日の朝だ。
今頃ベッドの上でふやけた寝顔をさらしているであろうキースを思い浮かべれば、自然と口元には笑みが浮かぶ。
高等学校を卒業し、一人暮らしを始めた直後俺の下宿にあいつが転がり込んできて早一年。宮廷音楽家を目指し音楽学校へ入学したキースと、軍への入隊が決定していた俺が歩むのは全く別の道だと思っていた。それでもいい、目指す場所やそこに至る過程が異なったとしても、将来必ず線が交わる時が来る。そうあいつに伝えた手前、必死に冷静さを保とうとしていた矢先のことだった。大荷物を脇に抱えてニッコニコで玄関に立つキースを見た時、俺は緊張の糸が切れたのか、笑った。腹を抱えて大笑いする俺を見上げて、あいつは不思議そうな顔をしてたっけ。不思議なのはおまえだろう、とツッコんでやりたかったが、何か心の底から安堵した俺はそれどころじゃなくて、目の前の小さな同級生兼恋人を荷物ごと抱き上げてリビングまで駆けたのを覚えている。
ケトルが鳴った。
思い出に没入してぼーっとしていた俺は、ハッと顔を上げ冷蔵庫に向かう。とりあえず卵を四つとバター、燻製肉のスライス、それから葉野菜を取り出し、ワークトップに並べてみた。あいつなら卵を魔法みたいにふんわりとしたレモン型のオムレツに仕上げてしまうだろうが、俺の場合はそうはいかない。目玉焼きにしようにも必ず黄身が割れるし、オムレツになるはずだった卵液はスクランブルエッグに早変わりする。今日は後者にしておこうか。
ボウルに卵を割り入れ、フォークでといて塩胡椒を少し。その間にフライパンを火にかけておけば良かったなと、軽く反省しつつバターをフライパンに落としコンロに載せた。
バターが溶けた頃合いに卵液を流し入れて木ベラでゆっくりかき混ぜていく。よし、ここまで来ればもう完成したも同然だ。あとは俺とあいつ好みのとろとろ具合になる瞬間を見逃さないように注意していれば良い。
背後の棚からプレートを二枚取り出し、洗ったばかりでみずみずしい葉野菜とできたてのスクランブルエッグ、そして燻製肉を盛り付けた。完成!かと思いきや、主食のパンをトーストしておくのを忘れていたことに気付く。吊戸棚から食パン一斤を取り、四枚切り出して慌ててトースターに突っ込んだ。
ふうとひと息つきながら、あいつ起きて来ねぇなと寝室に向かう。
ドアを開け中を覗くと、俺専用になるはずだった大きなベッド上の真ん中に、小さなふくらみがあるのが見えた。我が物顔だな……とちょっと微笑い、するりと音を立てずに入室する。
ベッドに近づいてキースの顔を覗き見れば、想像の三割増しでとろけた寝顔をしていて。安心し切ったその様子に、何と言えば良いのか分からないが角のてっぺんから足の先にかけて甘く痺れるような、むずがゆいような感覚を覚える。ふるりと小さく身震いして、俺はキースを揺り動かし声をかけた。

「おい、起きろ。キース。朝飯が冷めちまうぜ」

するとキースは薄っすらと瞼を開いて俺を見た。その黄色い色硝子に映る俺は、見事ににやけている。

「ぅんん……ばりー、あと五時間……」

「せめて五分だろそこは。寝過ぎも体に障るぞ」

言いながらキースの腹をぽんぽんと優しくたたく。屈んだ俺に手を伸ばして、キースはひとこと「抱っこ」と強請った。
俺は表面上は仕方ない風を装いながら、キースの両脇に手を差し入れて抱き上げた。そしてそのままリビングへと向かう。
その間も俺の腕の中でうとうとと舟を漕いでいたキースが、ぐずるような声を上げたあと言った。

「ん゛……なんか、こげくさい」

「やっべ」

俺はキースを椅子につかせると、慌ててトースターに向かった。
案の定というか、隙間から煙が細くのぼっているのを見て、俺は項垂れる。

「焦がしちまった……」

「だいじょうぶ。バリーは木炭が好きだもんな」

テーブルについたキースから、ぼんやりしたなぐさめの言葉が飛んできた。まあ、それは確かにそうなんだが。
仕方なく焦げ焦げのトーストをプレートに載せてテーブルに運ぶ。キースの分は、表面の焦げ目をナイフで削った。

「すまんな。食事は私の担当なのに」

目が覚めてきたのか、先程より幾らかしっかりした口調でキースは言う。その声は少し掠れていた。

「いや、俺が昨夜無理させちまったんだから良いんだ。……今日が休みでよかったぜ。おまえの自慢のテノールを掠れさせちまったからな」

本当に申し訳ない気持ちで言い、ポットから茶を注ぎながら上目遣いにキースを見る。
キースは何かをごまかすように、コホンと咳払いをすると頬を赤くして、「では、いただくよ」と言ってフォークを手に取った。
俺もそれに倣い、スプーンを握る。
スクランブルエッグを口に運んだキースが、ひとこと「美味いな!」と褒めてくれた。その後も美味い美味いと褒めちぎる声に相槌を打ちながら食べる焦げたトーストは、苦いのにやたら美味しかった。








バリキスのお話は
「花なんか別に好きじゃなかった」で始まり「焦げたトーストは、苦いのにやたら美味しかった」で終わります。
お題元さま https://shindanmaker.com/804548

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