Beobachtung Tagebuch Ⅱ






あ、この子は戦いに向いていないのだな。
そう気づきに近い直感を得たのは、パートナーである魔物の子、キースと出会って二ヶ月ほど経った頃だったと記憶している。
否、冒頭の感想はあくまでも私の主観であり、どうやら他の魔物の子達やそのパートナー、そして誰よりキース自身は自分は戦いが得意であると認識している様であった。
確かに、キースは強い。自らの身体的特長を実に巧く使い、呪文無しでも純粋に腕っ節が強かった。私がうっかり呪文を唱え忘れても、取り敢えず物理的に相手にダメージを与えて悠々とこちらへ戻ってくる事も何度かあるくらいだ。
実際私も、当初はこの子の蜜色の本に浮かび上がる呪文を唱える事に、愉しさを感じた事もあった。魔物と言うだけあって、人間には凡そ不可能な能力をキースたちはそなえていた。炎を操る子や、巨大な武器を扱える子もいて、彼らの戦いを撮影したい欲求に駆られた程である。私のパートナーであるキースはと言うと、なんというか主に光線のような物を、その身から射出する力を持っているようであった。
で、だ。
魔本に『ディオガ・ギニスドン』という呪文が現れた時、キースは大いに喜んだ。ついに自分の最大術が出現したからだったらしい。クルクルと独特のステップを踏んだかと思えば、いつも携えているステッキをまるでオーケストラの指揮者の様に振り振りしながら朗々と歌い上げた。そののびのびとした歌声は心地よく私の耳に響いた。その日の夕餉にはイモ天のみならず、本格派な店でしかお目にかかれない様な多くのテンプラが供された。魚介から色とりどりの野菜までふんだんに使用して、キースはテンプラの花をきれいにさっくりと咲かせていた。美味い美味いと酒も進み、ほろ酔いで気分が良かった私はキースに言ったのだ。「キースおまえ、こっちの方が向いているんじゃないか?」と。
その瞬間のあの子の表情は今でも脳裏に焼きついている。
彫像のような彫りの深い顔は普段から割と無表情気味で、口元が笑みを作るかどうか位の違いしか付き合いの浅い者には分からないだろう。しかしその頃の私は、キースの無表情からある程度感情を読み取る事ができる様になった気になっていた。その時キースの顔には特に大きな変化は無かった。ただ私の顔をきょとんと見つめているだけだった。が、私には、あの子の落胆や、ともすれば絶望とすら呼べるような感情が読み取れてしまった気がした。
私の先の失言に含まれていた「こっちの方」と言うのは、所謂芸術とか文化とか言う分野の事だった。それは、後からキース本人に言われたが、きちんと伝わってはいたらしい。
だがそれと同時に言われたのだが、私の台詞が幼い頃のキースに向けられた数々の言葉たちとデジャヴを起こしたのだそうだ。
というのも、キースから少し聞き齧っただけなのだが、あの子はやはりと言うべきか幼少期から周囲の同年代の子どもたちに比べると随分小さかったらしい。それは今でも変わらず、本人は成長期がストライキを起こしているだけだと言い張ってはいるが、今から身長が伸びる希望ははたから見ていても薄いように思える程だ。幼い頃、キースはその小ささや家業が芸術方面である事をからかわれたり小突かれたりしていて、その度に果敢にもその相手に挑んでいっていた。その頃から今の才覚の片鱗は見え隠れしていたようで、ボロボロになりながらも小さな体で辛勝を勝ち取っていたそうだ。だが、そのボロボロ振りをひと目見たあの子の両親は、ケンカ禁止令を言い渡し、家業である音楽(それ以外にも文化系なら何でもいいという自由っぷりではあったが)に専念する様に説得したのだと言う。それが、余計にキースの心の炎に油を注ぐ結果となってしまった。あの子はケンカを売られるたびにそれを買い、果ては自分から周囲に噛み付くようになっていった。
持ち前の瞬発力と機転を巧く使いこなせるようになる頃には、”無敵の子”という”レッテル”を貼られ、誰も彼を面と向かってからかう事は無くなった。その代償に、友人や親しい人物はできず、独り葉巻を燻らす事になったそうだ。何もかも灰色になった世界にぽとりと落ちて来たのが鮮烈なコバルトブルーのライバルだったらしいが、ここではあまり語らないでおく。ひとつ、私が個人的にそのライバル君に感謝しているのは、キースの本来の性質を取り戻してくれたであろう事だ。キースの傍若無人さと、それの影に見え隠れする天真爛漫さを引き出してくれたのは、おそらくそのライバル君だ。
話を戻そう。
キース曰く、それなりに巨大な部類に入るらしい両親には物凄く甘やかされたし、彼らの後を継ぐつもりではいるのだが、如何せん強くなり過ぎた。
だが、私から見れば、強い”だけ”だ。上には上が、い過ぎる。だから私は思うのだ。
あ、この子は戦いに向いていないのだな、と。
あの子の戦い方には確かに光るものがある。しかしそれだけでは浅いと思ってしまうのは、職業病故だろうか。キースが他の子が覚えているような防御呪文を覚えていないのも、キース自身の「強くなりたい」という願いが叶った結果なのではないかと私は睨んでいる。
千年という永い永い時の中で、あの子と巡り会ったのにも何か意味がある筈。そうであってほしいと願ってしまう。せっかく芸術家の端くれである私のもとに来てくれたのだから、伸ばせる才能は見つけ次第発芽させてやりたいと思うのだ。水遣りも担当したいところだが、あの子にとっては一瞬であろう人間界での暮らしの中では限界がある。
幸運なことに、キースは絵画も音楽も、料理も、詩も映画も好きだ。戦いにも喜んで身を投じるが、ずっと戦い続ける訳にもいかない。普段の日常の方が占める時間は多いのだ。ならば、できる限りあらゆる芸術の、本物、というやつに触れさせてやるのが、私の役割のひとつであってもいい筈である。それがただのエゴだとしても。
次はどこの美術館に連れて行こうか。いや、キースが観たがっていた映画に行くほうが先か。
思考に没入していると、私の隣に腰掛け静かに鼻歌を奏でながら楽譜の符号を目で追っていたキースが、こちらを見上げてきた。視線に気付いた私は、ガイドブックを閉じて膝からどかしキースを見つめ返した。

「ベルン、私も作詞をしてみたい」

「ベートーヴェンの第九か……ああ、やってみればいいと思う」

私の答えに目を輝かせたキースは、テーブルに載っている私の作品用のアイデアノートを開くと、鉛筆で何かを書き始めた。魔本に書かれているのとそっくりな特徴を持った図形のような文字を、がりがりと書き連ねていく。私はテーブルに頬杖をつきながら、夢中のキースを横から眺めた。
しばらくして、キースが歓声を上げた。

「できたぞ!!」

聴く姿勢をとった私を満足げに見たあと、キースはすぅっと息を吸った。








結論から言うと、やはり私の目に狂いは無かったようだ。
嬉しくなった私は、キースの頭を緩く撫でしみじみと言った。

「おまえの未来は無限大だなぁ」

戦い以外では、と言うのは控えておいた。


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