Cheerful Kitchen







トントン。
カタカタ。
コトコト。


どこか懐かしいあたたかな音たちに導かれるようにして、ベルンは目を覚ました。
ベッドの上でもぞりと寝返りを打ち、頭上のカーテンに手を伸ばしかけて、やめる。二日酔いの朝だ、日差しを浴びるのはつら過ぎる。
はて、昨夜私はおたのしみだっただろうか、とベルンはこめかみを押さえて唸る。覚えているのは、仕事の帰り道に立ち寄った日本食店のいも天が、大変美味だった事くらいだ。
「ん?いも天……?」
ここに越してきて以来、近場にあるのは知っていながら、中々入る機会に恵まれなかったあの店。そこで出された料理について、酔いも手伝ってか自分にしては珍しく声に出して称賛したのを、かろうじて思い出してきた。あの時、こちらを振り返って、誇らしげににっかりと笑ったのは誰だったか。
ズキズキと痛む頭を抱え、シーツにくるまる。
断片的に思い出せるのは、三日月のようなシルエットに、どう見ても本物だったスプリング、器用にテンプラの衣に花を咲かせていくしっかりとした指先、そして葉巻。
これだけの要素をかき集めても、その人物の全貌が掴めない。
その時、ふと伸ばした指先にこつりと硬い感触を覚え、その物体を手に取った。意外と大きく重量感のあるそれは、赤みがかった黄色の表紙を持つ本だった。
こんな本持っていたかな、と思いつつ重たい表紙を捲る。何語か分からない、図形のような文字列を指でなぞっていく。
読めないものと思って流し見していたが、とある一頁にだけ、読めるような気がする一文を見つけた。そしてベルンはいざなわれるようにして口を開いた。
「……───」
その直後、キュンッという鋭い音がリビングの方から聞こえ、続いてドンッと何かを叩きつけるような音が響いてきた。
あぁ、やってしまったな。でも億劫だ、今は動く気がしない。
気付けば先程まで聴こえてきていた郷愁を感じさせる音は止んでいた。それがなんだか残念で、ベルンは現実から目を逸らすように瞼を下ろす。
「おい、ベルンッ!起きろ!」
とたとたと軽い音が聞こえたと思ったら、どさりと背中の上に重み。ちょうど、そう、小さなこどもが中々起きてこない父親を起こしに来たときのような、ベルンに家族は無いがそう思わせてくれる、そんな心地よい重さだった。
背中にかかる体重はこどものそれだが、先程の声は変声期を過ぎたテノールだった。
なんだか不思議だ、と思いながらベルンは肩越しに自分の背中を陣取る相手を見遣った。
「あー……何だったかな、バリーだったか」
「馬鹿者ッそれは我がライバルの名だ!この私の名を忘れるとは良い度胸じゃないか」
一人称といい話し方といい、最近の子はませてるなぁとベルンは思う。まあこの子の年齢はおろか、名前すら覚束ないのだが。
「私の名はキース。そしてベルン、おまえは私のパートナーだ」
そうだ、思い出してきた。
三日月形のシルエット。被り物なのか何なのか、これはこのキースと言うこどもの頭の形だ。スプリング状の腕は、キースが動くたびにキシキシと僅かに軋む。
全貌を改めて見つつ、ベルンはふと思った事を口にした。
「キース……おまえ、一体何なんだ」
玩具か何かか、とまで言うベルンに気を悪くした風もなく、キースは胸を張って答える。
「昨夜も言っただろう。西の地では知らぬ者がいなかった、無敵の魔物の子だ」
いなかったという過去形の表現にベルンは小首を傾げる。
だが言葉を発する前に、キースが身軽にベルンの背から退き言った。
「そんなことより、あれだ!朝めしができてるぞ!!」
確かに言われてみればキースが開け放ったドアから、食欲を刺激する香りが漂ってくる。
彼に促されるままベッドから下り、リビングへと向かう。
ステッキをふりふり、足取りも軽く先を行くキースの後ろ姿を見て、魔物でもこどもはこちらの世界と変わらないのだなぁと漠然と考える。
リビングに辿り着くと、ソファにベルンを座らせて、キースはキッチンへとぱたぱたと向かう。床に大穴が開いているのは、先程の音からしてキースと自分の仕業なのだろうと見当をつける。直すのいくら掛かるかな等とぼんやり考えていると、キースが戻ってきた。
トレーにはほかほか湯気を立てるボウルに、数個のブロート、そしてたっぷり水が注がれたグラスが載っている。
「昨夜のおまえは些か呑み過ぎていたからな!軽めのスープにしておいたぞ」
ベルンは表情にこそ出さなかったが、少し感動していた。
「食材が魔界のものと似ていて良かった、勘でも何とかなったからな!」
感動の理由は色々ある。出会いの場からして、キースは日本食専門だと思っていた事が覆されたのも、パートナーとなった子が意外と常識的なところもあると判って嬉しかったのもあるが、何よりも。
トレーをローテーブルに置いてくれたキースに、ベルンは「時代錯誤ですまないが」と前置きをして言った。
「キース。おまえ、良いお嫁さんになれるぞ」

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