Küss Mich


「まだ痛むか」
戦いの日々から帰還し復学してきた同級生を、畏怖の念を込めて遠巻きに眺める者たちの中心、教室のまさにど真ん中で、キースはぽかんと声の主を見上げた。「何が」と短く答えるキースに、分かっているくせに、とバリーは内心で舌打ちをする。
小さな体で椅子の上にふん反り返っているキースは、人間界に行く前と同じふてぶてしさだ。携えたステッキも、種族と年齢から見てもちょっと小さめの身体も、身に纏う紫煙の香りも、気取った態度も、なにもかも、同じ。
だがバリーにとっては違和感しか無い。
あれだけバリーバリーバリーと付きまとい、目が合えばそれだけで嬉しそうにケンカを売ってきた自称バリーのライバル、あのキースが、何もしてこない。それどころか、目が合うとすぐに逸らす、声を掛ければ一瞬の間のあとはりつけた様な笑みを浮かべてはぐらかされる。また、そんな煮えきらない態度にしびれを切らしたバリーが、キースの腕を掴んで逃げられないようにした時のあの数瞬の怯えた表情。そのすぐ後にまたへらりと笑ったキースはバリーを見ているようで見ていなかった。あの色硝子を嵌め込んだような目は”あの時”の曇りは無いはずなのに、バリーを映してはいなかった。
今も、だ。自分を見上げるキースの目は、窓から射し込む西日を反射していて、そこにバリーは居ない。
何故かはらわたが煮えくり返るような、そして置いてけぼりにされたような気分に苛まれながらも、バリーは静かにキースを見つめる。
キースは冷汗を一筋流すと、バリーの熱視線から逃れるように俯いて自嘲気味に笑った。その笑みも、バリーは気に食わなかった。
周りの者たちは口々に言い合う。『キースのやつ、バリーにこっぴどくやられたそうじゃないか』『しかも卑怯な手を使った上でだろ?』『よくバリーのライバルとか言えたよな』『弱いくせに』
キースがきゅっと拳を握る。が、すぐに脱力してしまった。以前の彼ならば、部屋中を乱反射するバーガス・ギニスガンでも撃って、いらぬ事を言う者たちなど一掃していたはずだ。今の力ないキースを見て、バリーは下唇を噛み締めた。
「確かにこいつは弱ぇ。だが、こいつに勝てるやつがここに俺以外で居るってのか?」
地を這うようなバリーの問いに、ざわめきが止む。誰もが口を噤み、俯く。二名ほど俺は勝てるぞとばかりに頷く者たちもいたが、彼らも先の戦いに身を投じていたためバリーは華麗にスルーした。
「失せろ」
そう命じた途端、蜘蛛の子を散らすように同級生たちは去っていく。残ったのは、先程の二人と、バリーとキースだけだ。
その二人も、やれやれと溜息をつくとそれぞれ教室をあとにした。
バリーは徐ろにキースの腹部に手のひらをあてた。突然の接触にキースはびくりと慄いたが、抵抗らしい抵抗はなく、されるがままになる。
「時々触れてるだろう。痛むんだな?」
バリーの言葉に、キースは小さく頷いた。あの戦いの中で、深々とバリーの手刀が突き刺さった胴体は、未だキースの身体を苛んでいた。
「……痛いのは、何も体だけではない。疼くような痛みは、バリー、おまえを思い出すたびに私の精神を蝕む。おまえに拘るのは私が弱いからだと言ったな。……その通りだよ、私はずっとあの時の後悔と羨望に身を焼かれている」
フハハ……ッとキースは嘲笑った、自分自身を。
「つくづく私は弱いなぁ。あきれただろう、軽蔑しただろう。もう、私ひとりではどうしようもできない所まで来てしまった。痛い、痛いんだよ、バリー。ごめんなぁ」
くすんと鼻を鳴らして、キースはバリーの袖をちまりと摘んだ。
それがキースが表現できる最後の救援信号なのだと、バリーには痛い程よく判った。
バリーはその場に膝立ちになって、キースと目線を合わせると彼の頬を指の腹でやさしく撫で上げた。くすぐったさと気恥ずかしさから首を竦めたキースの顎に手を添えて、バリーはついばむような口付けを落とした。キースは突然の口付けに瞠目していたが、すぐ離れて行ってしまったバリーを名残惜しげに潤んだ目で見つめる。
その視線に、バリーは途方もない幸福を感じた。
「やっと、俺を見たな」
口付けには、痛みを和らげる効果があるらしいぞ。
そう言うとバリーは、キースの意外とやわらかな唇にもう一度キスを施した。
抵抗もなく、それどころか涙を湛えた硝子の目で見つめてくるライバルに、バリーは強請られるままキスを続ける。いつしか触れるだけの接吻から、深く互いを乞うようなものに変化していった。
どれくらいの時間、そうして貪り合っていたのか。ふたりとも初めてのことで止め時が分からず、銀糸を伝わらせて離れる頃には揃って咳き込んだ。
先に言葉を発したのはキースだった。
「……どうしてくれるんだ、この胸の疼痛はケガのせいではないぞ。バリー」
「今更気付きやがって。おまえは俺に初めて負けた時、否、出逢ったその瞬間から俺に惚れてたんだ。ライバルとして、そして、ひとりの魔物として」
キースは、よくもまあこんな恥ずかしい台詞が吐けたもんだ、と思いつつ、自慢の瞬発力を活かしてバリーの胸に飛び込んだ。
流石にバランスを崩しかけたバリーは、キースを抱えて笑い転げた。キースもつられて快活に笑う。
ある日の放課後、この瞬間は紛れもなく永遠だった。

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