末息子たちとヒーローっぽい何か

俺の弟はこの年で既にヤク中だ。
いや、今はもうやっていないから、”元”ヤク中になるのかな。
弟と俺は同い年で、母親が違って、父親は吸血鬼を自称する悪のカリスマで、上にあと二人それぞれ母親の違う兄たちがいる。てんでバラバラな俺たちが、どうして一緒に暮らす事になったのかはさておき。
弟─ウンガロとは、出会ったその日にどちらが兄かで少しモメた。誕生日を訊ねても「知らねぇ」の一点張りだったものだから、お手上げだった。けど、身長は俺が勝っている事を知った途端、案外おとなしくウンガロは俺の弟というポジションに収まった。
で、その元ヤク中のウンガロが、暴れている。
鋏を振り回し、言葉にならない叫びを上げながら、何かと戦っている、らしい。
その恐ろしい”何か”は俺には見えないけど、本気で怯えているウンガロの姿は痛々しい。
俺には弟のこの豹変ぶりがこわくて仕方ないし、かわいそうだしで瞼が意思に反して落ち始めるのが分かる。
そう、普段のウンガロはなんて言うか、おとなしいのだ。と言っても所謂良い子と言う訳でもないようで、興味のある事柄以外にはとことん無気力で、どこか夢見がちな面もあるらしい。
俺たちの父親を名乗る例の男の蔵書を勝手に読み耽っていたかと思えば、挿絵ばかりの絵本(俺たちを懐柔しようと例の男が部下に買わせた見当違いなプレゼントだ)を膝の上に広げて飽きもせずに眺めていたり。そしてTVでカートゥーンを観ながら呟く、「やっぱりヒーローなんていねぇんだ」と。
それを偶然聞いた二番目の兄が、何故か嬉しそうに「だろォー?」と言ったら言ったで取っ組み合いのケンカになっていた。二歳の差はこの時期の子どもにはとても大きいから、あっという間に鎮圧されていたけれど。
まあそれはともかく、俺としては初めてできた兄弟たちと仲良くやっていきたい訳で、彼らがモメるのも、苦しんでいるのも見ていられない。だって、一人でトボトボと先の見えない道を歩いていたら、ふと明かりが差して、血の繋がった兄弟たちが目の前に現れたのだから、大事にしたいと思うのも当然の事だと思う。血の繋がりに特別な夢を見ている時点で俺もウンガロを笑えないくらいにロマンティストなのかもしれない。
俺はソファの背中側に回り込んで、この事態を何とかできないかとおろおろしている。
詳しくは聞いていないけど職業柄この手の荒事には慣れているらしい一番上の兄が、こんな時に限って留守なのが悔やまれる。
そうこうしている間にも、俺は俺でパニック障害(と言うらしい。ここに来る時の検査で正しい診断名を知った)のせいで冷汗が噴出して来るし瞼は閉じてきてしまうしで、余計に混乱してしまう。
涙で曇る視界に捉えたウンガロの持つ鋏の先が、ウンガロ自身に向いたのが判った。思わず届くはずもないのに手を伸ばす。

「ウンガロ……ッ!!」

「ザ・ワールド」

静かな、そしてどこか厳かな声が部屋に響いた。
ぱちりと瞬きをする間すら無かった。
子ども部屋の中央、ウンガロを抱きしめるのは、俺たちの”父親”を名乗る例の男。
一瞬動きを止めたものの、尚もウンガロはもがく。 鋏の刃先が男にも向いた。思わず目をかたく瞑れば、肉を裂くいやな音が如実に聴き取れてしまった。しかもその音は一度では止まらなかった。
瞼の裏に最悪の事態を描き出す。
しかし、この場にそぐわない暢気ともとれる声が言った。

「いいぞ、その調子だ。その見る物すべてに対する攻撃性、発現すればこのDIOの良き駒となるだろうな」

おそるおそる目を開くと、ザックザックと肩に鋏を突き立てられる男─DIOが見えた。

「DIO……」
「リキエル、私の事は父と呼ぶように言ったはずだが?」

当然のように窘められて、口調こそ穏やかだが有無を言わせぬ何かを感じ、俺は慌てて「父さん」と呼び直した。
するとDIOは満足げに艶然と微笑んだ。

「ふむ、悪くない。……ほぉら、ウンガロ。父が来たからにはもう何も恐れるものなど無いのだぞォ」

ウンガロの細い身体を、DIOはその巨躯で更に抱え込むと、人形を操る糸が突然切れたようにウンガロの動きが止まった。脱力し切った手から血塗れの鋏が落ちる。
DIOはそのままウンガロを横向きに抱き上げた。ウンガロは疲れ切ったのか眠りに就いているようだった。

「今宵は特別に私のベッドで寝かせてやろう。リキエル、おまえも来るか?」

慌てて首を横にぶんぶんと振った俺を意味有りげに微笑み眺めた後、DIOは俺たちの部屋を出ていった。扉の向こうには恭しく礼をするテレンスさんが見えた。
DIOの後ろ姿を見て、俺は瞠目した。
……傷が、治っているッ!?

「ウンガロ……おまえの求めるヒーロー、案外近くにいるのかも知れないぞ」

今頃DIOの腕の中で眠っているであろう何も知らない弟へ向けて、俺は呟いた。

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