Emmanuel

「ずっと気になってたんだがよォ。ウンガロ、おまえの母親って相当外見がアレだったのか?だからDIOの野郎が興味本位でおまえを産ませたのか」

「失礼なやつだな」

そう言いつつ漫画雑誌のページをぺらりとめくった弟の横顔は、相変わらず爬虫類系無表情だ。その頬に入った”U”の字を見て、『こいつ結構自己主張してるよなァ』とぼんやり思う。服装だってそうだ。地味なニット着てんなと思えば、今のようにヘソ出しの何かよく分からないジャンルの衣服を着ていたりする。だいたいそのサスペンダー意味あんのか、と問うてみたくなる。大抵部屋着はTシャツにハーフパンツで、外出時はツナギで済ませてしまうヴェルサスとしては、ウンガロのこだわりとかセンスとか言うものがあまり理解できない。理解する気も無いが。
と言うよりも、同じ衣服を繰り返し着る事はヴェルサスにとっての当たり前だった。幼少期から所謂ネグレクトを受け、可愛くもないどころか憎たらしさしかない妹たちと衣食に露骨に差をつけられてきたからだ。その全ての元凶とも言えるあの母親のことを思い出し、いやな気分になった。

「ちなみに俺んとこは『昔は凄かった』が口癖のただのババァだったけど」

「そりゃご愁傷様」

思わず悪態をつくと、爬虫類顔ではあるが可愛げが無いわけでもない弟が、ぼそりと返してくる。そしてちらりと視線だけをヴェルサスに向けて、

「おまえ、顔だけはそこそこいいもんなぁ」

と感想を述べた。何となく小馬鹿にされているのは分かったが、珍しく褒められたと受け取ったヴェルサスは嬉しくなってウンガロの肩に腕を回した。ぎゅむぎゅむと引き寄せられ迷惑そうなウンガロの顔を覗き込み、笑う。

「おまえも案外カワイイとこあるじゃあねーの」

「……さっきの発言、忘れてねぇぞ」

さっきの発言ン〜?とすっとぼけるヴェルサスをにらみつけ、ウンガロは言う。

「オレの母親がアレだとかなんとか。……確かにオレも見た事はねェが、あのDIOがただの不細工に手を出すとも思えねェんだよな」

ぼやくようにそう言った後、ウンガロは視線をまた雑誌に落とした。この話に既に興味がないと言外に表現している弟の顔を未だ覗き込みながら、ヴェルサスは閃いた!とばかりに声を上げた。

「見に行こうぜッ!おまえの母親をよォーッ」

「はぁ?」

年代的にリキエルの母親も見れるかもなァと何故かウキウキしながら、ヴェルサスはスタンドを発動させた。

「アンダー・ワールドッ!」

「ヴェルサスおま、マジかよッ」

ひっくり返ったような悲鳴を聞きつつ、ヴェルサスはウンガロを連れて過去へと落ちて行った。

─────

「──ここが二十四年前のDIOの館か。夜に外から見るとやっぱ雰囲気あんな」

のんびりと感想を口にするヴェルサスのそばで、ウンガロが胸に手を当てて肩で息をしている。未だばくばくと跳ねる心臓を持て余し気味に、ウンガロはぼやく。

「射程距離フロリダ州オーランド付近じゃあなかったのかよ……」

ここエジプトだぞ。
そう言ってから大きく深呼吸し、ウンガロはキョロキョロと辺りを見回した。自分たちがこの時代にとっての異分子だという懸念からだ。ヴェルサスのスタンド能力で”土地が記憶している過去”の出来事を再現しているだけだとは分かっているのだが、やはり不安はあった。例えば昼間ならペットショップに迎撃されていたかも……と考えてぶるっと震えるウンガロを見て、ヴェルサスは不敵に笑って見せる。

「こっちに引っ越してから、DIOの書庫を漁ったんだよ。思った通り、新聞もズラッと保管されてた。だからこの辺の出来事も頭に叩き込んである」

トントンと、自分のこめかみを人差し指で軽く叩き、ヴェルサスは得意げである。己の能力をフルに活かそうとするヴェルサスの執念と記憶力は確かにすごいが、『アンダー・ワールド』なかなかに不便な能力だなァと、ウンガロは自分の能力の複雑さを棚に上げて思った。
とりあえずふたりは玄関前にいる事に身の危険を感じて、自然とそばにあった茂みに隠れた。

「多分DIOとかにはオレらが侵入してることバレてんだろうな」

「俺のスタンドに過ぎないから危なくなったら即解除すりゃあ良い」

「時止め食らう前に、な」

軽口を叩いていると、玄関の大扉に向かって歩いてくる人影が見えて、ふたりは息を潜めた。身重であることが一目で分かるシルエットだった。
その人影が扉の前に辿り着くと、招き入れるように内側から扉が開いた。その時、館内からもれ出る一条の光に照らされたその人物の顔を見て、ウンガロが「リ……ッ」と声を上げかけた為、ヴェルサスは慌ててウンガロの口元を手で覆った。
件の人物はふっとふたりの方に目線を寄越したあと、小首をかしげながら館に入って行った。
ここに至ってようやくヴェルサスの拘束から解放されたウンガロは、「い、今のって……!」と興奮気味にヴェルサスを振り返る。

「リキエル、の、母親か!?」

「そっくりだったな」

「な!スッゲェー美人ッ!」

「おまえソレ、リキエル本人にも言ってやれば?」

途端に萎えた表情になるウンガロがおもしろくてヴェルサスは思わず吹き出した。ウンガロはぶ然とした顔で言う。

「あいつだって一応男なんだから美人って褒められても嬉しくねぇだろうよ」

「そんなことねーって。だってあいつ、おまえの事、」

言いかけて、ヴェルサスは口を噤む。これは本人から伝えられるべき事柄だと珍しく空気を読んでみたのだ。きょとんとしている末弟を見て、ニット帽のてっぺんをぽむぽむと叩いた。

「……ま、もうちょっと待ってみようぜ。もしかするとおまえの母親も……っと、また誰か来た」

「んー、暗くてよく見えねェ」

そう言ってウンガロはこしこしと小さな目を擦っている。
すると、扉の前まで来たその人物が突然叫んだ。

「DIOォーッ!起きてんだろ!知ってんだぞ!!出て来やがれッ!」

ドンドンと大扉をノックするというか、殴りつけているのは、小柄なシルエットの女性だった。少女とも言えそうな細腕で、扉を叩き続けている。

「どうしてくれんだよ、あたしの腹に居るガキ!テメェのガキだぞDIOォ!」

そう叫んでヤケのように扉を蹴飛ばす女性を固唾を飲んで見守るヴェルサスとウンガロ。直感的にこの女性がウンガロの母親だと、ふたりとも理解していた。ガラの悪さとか、酒焼けしたようなハスキーな声とか、そういう点が何となくウンガロを彷彿とさせたからだ。
遣る瀬無い気持ちで女性を見つめるふたりを他所に、扉が開く。その容貌が明らかになった時、ヴェルサスは身を乗り出して目を眇めた。そして素直過ぎる感想を零す。

「カワイイな……」

「嘘だろ……オレの母親じゃねぇのか」

茫然と言うウンガロに対し、ヴェルサスは仔細に女性を観察しながら答える。

「頬に”U”の字……それってもしかして入墨じゃあなくてアザ……?ウンガロおまえのそれ、遺伝だったのか?」

女性は確かに可愛らしい顔をしていた。少しとかげなどの爬虫類を連想させるが、そこも愛嬌に変える何かを持っていた。よく見れば、手や衣服がペンキのようなもので無造作に彩られていて、画材ケースであろう荷物を携えている。
しばらく騒ぎ立てていると思ったら、女性は吐き気を催したのか、口元をおさえてしゃがみ込んだ。
その間も扉は開いているが、ウンガロの母親はその場から動こうとしない。
館内から人影が現れる。大柄だがスマートな印象を受けるその人物には、ふたりとも見覚えがあり過ぎた。

「お、テレンスさんじゃね?」

「流石に若いな、この頃は。今も年齢不詳気味だけど」

テレンスは、女性に合わせるように膝を折ると、彼女に何かを手渡した。それはぶ厚めの封筒だった。
明らかに結構な額の札束が入っているであろうその封筒をひったくると、ウンガロの母親は口元を手の甲で拭いながら立ち上がった。
踵を返した彼女の背に向けて、テレンスが気遣わしげに声をかける。

「……あの、お身体大事になさってください。今の貴女はDIO様の──」

「わーってるって。ガキが生まれるまでは酒もヤクも煙草もやらないから。でもさ、」

金だけ寄越して一度も会ってくれないって、やっぱアンタらのボス、屑だね。
そう吐き捨て、彼女は歩き出す。
そして数歩進んだところで、くるりと振り返って悪戯っ子のように笑った。

「いいコト考えた!”この子”の名前、エマニュエルにするッ!」

面食らっていたテレンスが、おずおずと口を開く。

「……その名の意味は、”神はわれらとともに”でしたよね」

「そ!一目会ったことすらも無い、DIOという”神”を父に持ったのと、そいつに殺される事しか考えてないこんなあたしが母親なのが、このガキの不幸のはじまり。だからせめて、名前くらいはね。……ふふ、すっごい皮肉な名前になっちゃったねぇ」

そう言って、彼女は自らの腹部をやさしく撫でる。
ウンガロは目を皿のようにしてそのやり取りと見つめていた。
ヴェルサスは静かに能力を解く。
いつもの石造りの部屋に戻って来ると、ウンガロはおもむろに読みかけの雑誌に手を伸ばした。
微妙な空気の中、ふたりソファに腰掛けていたが、沈黙に耐えきれなくなったヴェルサスがあせあせと言葉を探した。

「お、おまえ、エマニュエルって名前だったんだなぁ」

「名前負けしてるって昔っからよくからかわれたよ」

だから今まで名乗らなかったのか、とヴェルサスは内心で納得した。

「でもよ、ちゃんと考えられてんじゃん?」

「DIOが知ったら一笑に付されそうでかなりイヤだけどな」

そんなことねぇよって、と否定してやれないのがもどかしかった。急繕いのこの”家族”は、綻びが多過ぎる。いつ何時崩れだしてもおかしくはない絶妙なバランスで均衡が保たれているのだと思い知ったヴェルサスは、「それでも、俺はおまえの母親とファーストネーム、知れてよかったよ」としか言えなかった。

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