unhappily ever after?

「なんかよォ、兄貴っておとぎ話の王子さまって感じだと思ってたんだけど、今はむしろお姫さまだよなァって思うんだ」

絵本から顔を上げずにそんなことを言う末弟──ウンガロに、「聞き捨てなりませんね」と返した僕の言葉は、彼に届いているのか微妙なところだった。というのも、ウンガロはクスリが抜けてからというもの、常にどこか意識がぽんやりとして、会話とひとりごとの境目が判りにくくなっているからだ。彼と僕を引き合わせたあの信用ならない神父によると、ウンガロはクスリで最高にハイになっている時を別とすれば案外おとなしいものだったという。
ウンガロが僕のもとに連れてこられて既に半年が経とうとしている。彼の他にももうふたり弟たちがいるのだが、訳あって彼らはエジプトの我々の父を名乗る男(認めたくはないが)のもとで暮らしている。と言うよりも、薬物中毒だったウンガロが彼らと別行動をとっていると言い換えた方が正しいのかも知れない。初めて僕のところに来たときのウンガロは憔悴しきっていて、とてもじゃないが世界中を未曾有の大パニックに陥れたあのスタンド使いだとは思えなかった。肩透かしを食らいながらもひとまず握手をしようと手を差し出した時の彼の反応は今でも鮮明に覚えている。目を瞠り、首をことりと傾げた後、傍らに立つあの神父に促されるままにおずおずと差し出された手。枯れ枝の様なそれを壊れ物に触れるように握った僕の手をきゅっと握り返してきた時、ウンガロは僕と目線は合わせないまま微かに表情を緩めた。花の蕾が綻ぶように、とまではいかないがそれでも十分だった。僕にはジャポネーゼの血が入っている。その為か彼の、奥ゆかしさすら感じる消極性に惹かれてしまったのだ。僕は、握手にすら相当な勇気を必要とするらしい彼を悲しいと思う以上に好ましいと感じた。
さて、どうやら冒頭の台詞はひとりごとだった様だし、僕も読書の続きを……と目線を落としかけたところで視線を感じすぐ隣を見た。ウンガロが遠慮がちにこちらを上目遣いに見つめていて、おや?と思った。てっきり絵本に夢中だと思っていたが、ウンガロの興味は僕に移ったらしい。それを喜ばしく思いながら、彼の言葉を待つ。親指同士をもじもじと擦り合わせるのは、何か言いたいときの彼の合図だと気づいたのは五ヶ月と十三日前くらいだっただろう。

「兄貴はきれいだし強いから現代のお姫さま像にぴったりだ、と思う」

ぼそりと告げられて、面映ゆい気持ちでウンガロを見つめる。

「それを言うなら君だってかわいらしいし強いじゃないか」

そう言った僕の言葉にウンガロはきょとんとした後、頬を紅くし力無く首を横に振った。その横顔は一種の哀愁をまとっていた。

「……俺は兄貴たちとは違う。自分ってもんが無いからスタンドにヴィジョンが無いのも頷けるし……要は出来損ないで空っぽなんだよ」

あぁ、これは幼い頃から周囲の人間たちに言い聞かせられてきた言葉だろう。心無い言葉にさらされ続けて、彼の心は疲弊しきっているのだと思うと、ウンガロが置かれていた状況に憤りを覚える。彼の兄にあたり、僕にとっての弟たちであるふたりも、へとへとにならざるを得ない人生を歩んできたと調べがついている。もう少し早く彼らの存在を知っていればと思ってしまうのはエゴだろうか。

「ウンガロ。君は空っぽというよりも、所謂”普通”の子どもが学習していくはずだったスペースに、『自分は駄目な子だ』とか『出来損ないだ』とかの否定的な言葉を詰め込まれただけなんです。だから今こうやって療養して、君が心に収めていく筈だった色んな物事に触れてもらってるんですよ?」

絵本や映画、コミックなどもその一環です。
そう言ってにこりと笑んで見せる。遠い目をして耳を傾けてくれていたウンガロが、「でもよぉ、」と不満げに眉根を寄せた。

「……ガキじゃねぇんだからとは思うんだけども、俺も兄貴たちみたいな格好いいスタンド像が欲しかったんだよぅ」

子どものように口をとがらせてぼやくウンガロに微笑ましさを感じながら答える。

「これは、僕が勝手に思ってるだけなんですけどね、」

ウンガロのスタンドにヴィジョンが無い理由。それは薬物で疲弊しきった精神状態の中、無理矢理発現させられたからではないかと僕は考えている。それも暴発するような形で、射程距離:全世界という尋常ではない発動の仕方をした。ウンガロ本人の意思とはあまり関係ないらしい自由に動き回る様々なキャラクターたちは、ウンガロのただでさえ擦り減っていた精神力を蝕みながら実体化していったのではないか。だから通常ならスタンド像を形作るだけの必要最低限のパワーさえ残っていなかったのだというのが僕の持論だ。

「君は自分の精神を犠牲にしながら、世界中のキャラクターたちに生命を吹き込んでいったんじゃないかな、と思うんです」

僕の話を真剣に聴いてくれていたウンガロが瞳を輝かせた。

「そ、そういう考え方もできるんだ……!すごいぜ、さすが兄貴。しかも、生命を吹き込むって、兄貴の能力に通じるとこがあるって感じでめちゃくちゃうれしい……!」

「ふふ、おそろい、ですかね」

珍しくいい意味で興奮気味な弟に、純粋に楽しい気分になる。

「良いのか、俺なんかとおそろいでよ……?」

途端に狼狽え目線を泳がせるウンガロの手を握る。初めて会った頃よりも幾分かしっかりした手。それでもあの頃と変わらず遠慮がちにきゅっと力を込めてくるのが可愛らしくて。

「兄弟なんですから、似ているところがあっても何も不思議じゃありませんよ。それに、おそろいにする為に僕がこじつけただけですし」

射程距離のことを考えると僕らを捨てたあのいまいましい吸血鬼ともおそろいになってしまうという事実は伏せつつ、僕は微笑む。
照れてしまったのか、ウンガロはニット帽を目深にかぶり、頬を紅く染めた。

「美味しそうな林檎さんですね」

「……く、喰ってみるか?」

「君がそう望むのならよろこんで」

「前言撤回。兄貴はお姫様というより、わるいオオカミさんだ」

あまりにも夢見がちな台詞。流石は『自由人の狂想曲』を発現させただけのことはある。将来は芸術の道に進むのもありかも、と思いを馳せながら、この愛しい弟をソファにやさしく押し倒す。
ぎゅっと目を瞑って緊張しきっているウンガロに口づけを、と思ったところで歓声が響いた。

『ヒューッ!王子サマのキスで目が覚めるんだ!』
『ハッピーエンドだァ』『ヤッター!』『ストーリー通りだ!』

ソファを取り囲むようにして独特なタッチの小人たちが飛び跳ねている。
ウンガロを見ると、消え入りそうな声で「ごめん、あにき……」と謝られた。別に彼のせいではない……とも言い切れないのだが、仕方がないことだと納得する。ウンガロはまだ自らのスタンドを使いこなせている訳ではない。気持ちが高ぶると喜怒哀楽に関わらずスタンドが発動してしまうらしいのだ。
ふたり身を起こしてソファに座り直す。冷静になってきた本体に呼応してか、小人たちが消滅していく。
隣り合って手を繋ぐくらいが、今の僕らには相応しいのだろう。と考えつつも、隙をついてウンガロの星型のアザに口づけた。途端に様々なキャラクターが具体化して騒ぎ出すのを見てたまらなく楽しくなる。

「ウンガロ、君といると退屈しないね」

「そんなこと言ってくれるの、兄貴くらいなもんだぜ……」

林檎のほっぺで視線を逸らすウンガロの手をぎゅうと握り締めれば、控えめに握り返される。それだけで今は満足だった。

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