お題:君に出逢わなければ幸せだった





一キルへのお題は『君に出逢わなければ幸せだった』です。




「貴方に出逢わなければ幸せでした」
「は?」
一護の右腕に寄り添いながらキルゲは言った。ぽつりと落とされたその台詞に、一護は素っ頓狂な声を上げる。
こんな事を言いながらも何故かするりと指を手に絡めようとしてくるのを躱し、一護はキルゲの肩を掴んで睨みつけた。
「いやちょっと待て。お前今、自分が不幸だって言ったのか」
「はい」
「俺のせいでか」
「はい」
急にどうしたというのだ。二人は今、寝台に隣り合わせに腰掛けて、あと少しで互いの熱を共有できるような距離にある。キルゲの言葉は、そんな二人の間に現れていいものではなかった。
なんの因果かこの関係に陥ってから早半年。好きだの愛してるだのといった睦言は両者とも口にする性質ではなかったが、何故かそれなりに密な関係を結んできた。はずだったのだが。そう思っていたのは自分だけだったのかと、一護は些かならない衝撃を受けた。身体を重ねるまでに至って久しい今、この反応は辛辣すぎやしないかと思う。だが、それ以上に堪えたのは。
「…俺の傍で読書すんのも、俺と一緒に茶ァ飲むのも、俺に凭れてうたた寝すんのも全部不幸だってんのかよ?」
これだった。敵として出逢いはしたが、キルゲの何気ない日常の中に自分がいる事を甘受している己がいたのだ。当初は面倒くさい奴だと思うことの方が多かったが、そんな相手だからこそ、自分の存在が彼の中で許容されている事に居心地の良さを感じていた。嬉しかったと言ってもいい。それなのに。
「ええ、その通りです」
きっぱりと拒絶されてしまった。
「ふざけんなッ」
何だかよくわからない関係だと思っていたが、一護が想定していた以上に、彼の存在は一護にとって大きなものだったらしい。キルゲの一連の台詞を信じたくない。
狼狽える一護の頬に伸ばされる手には、いつもの白手袋は嵌められていない。ここまで許されているのに、言葉では拒絶されてしまっている。
「貴方さえいなければ…」
言いながら、指先で頬から鎖骨にかけてなぞられる。行為を想起させるその所作に、一護の鼓動は否応なしに跳ねる。言葉と仕草、どちらを信じていいのか分からず、一護の頭の中は混乱を極めた。
「…貴方がいない恐怖を知らずにいられたのに」
「は?」
一護は冒頭とまったく同じ声を上げた。こいつは今何と言ったのか。「貴方」とは、一護のことだろうか。流れからしてそうだろうが、思わず視線を左右に動かして他の誰かがいないか確認してしまう。自分がいない事で恐怖を覚えるのだと言ったのかこいつは。どういう事だ。
「………もしかしてそれ、告白、か?」
相変わらず一護の輪郭を愉しそうになぞっているキルゲの手を捕らえる。存外温かい手のひらを握りながら、先程までとは別の意味で心臓が高鳴るのを抑えられないまま、相手の言葉を待った。
「…ようやくお分かりいただけましたか」
「分かりづれぇよオッサン!」
安堵すると同時に何となく怒りに近い感情が湧いてきて、つい声を荒げてしまう。一護の怒声に、キルゲは少しだけ目を丸くした。
「お気に召しませんでした? 精一杯考えたのですがねぇ」
「まず方向性がおかしい。考えすぎて逆行ってるぞ」
「では、どうするべきですか」
興味津々といった様子で見つめてくる。表情は平素とあまり変わらないが、碧色の瞳には珍しく光が宿り、心なしかきらきらしている。見つめられて暫しの間言葉を失う。この眼に弱いことを一護は今しがた自覚した。そして、どぎまぎしながらもなんとか答える。
「そ、そこは素直に「貴方に出逢えて幸せです」とか言っときゃいいだろっ」
歯が浮きそうな台詞に、自分で言っておきながら軽く身震いしてしまう。キルゲはと言えば、顎に手をあててふむふむと頷いている。
「成程。直接的な方がお好みなんですねぇ」
「………で?」
ジト目でキルゲを見上げる。今度はお前の番だぞ、という意図を目一杯視線に込めて。
「…はい?」
「俺がここまでしたんだから言えよっ。俺だけ恥ずい台詞吐かせやがって」
「嫌ですよう。恥ずかしい」
「だ、か、ら、言えって言ってんだよ。不公平だろ」
「断固拒否します」
「最初のはさらっと言いやがったくせに!」
「あれでも最大限の努力を要したのですよ」
「努力の方向が間違ってたんだよ。俺めちゃくちゃショックだったからな」
きょとんと、一護を見るキルゲ。
「ということは、それ程強く想ってくれていたと見てもよろしいですか」
「…んなっ!ちが、」
あまりの照れくささから反射的に否定しようとした瞬間、キルゲの眉尻が寂しげに下がったような気がした。
「…わねぇよ! 悪ぃかっ。変なとこで鋭いこと言うな!」
やけくそ気味に叫ぶ。頬から耳から首筋まで何もかも熱くて堪らない。きっと今の自分の顔は見れたものではないだろう。そう思って顔を背けようとしたが、急に首元に腕を回されて叶わなかった。
抱きしめられている。暫く空白になった思考に、ぽかりとその事実が浮かんできた。と同時に心臓が跳ねる。
キルゲの表情をうかがい知ることは出来ないが、伝わる熱や拍動から、何となく自分と同じようなものだろうと予想がついた。
「……どうしましょう」
震える声が耳元で囁く。
「やはり私は、貴方に出逢わなければ幸福でいられたのだと思ってしまいます」
「なんで」
「貴方をいつか手放すことがとても恐ろしいのです。貴方がいなければ、このように脆弱な自分に気づかずにいられた筈なのです。そんな身勝手な恐怖も欺瞞も、それを生み出してしまった己への憤りも無かった筈なのに…」
「だぁーーーっもう! 」
悲観的な告白に思わず声を荒げて抱きしめ返した。腕にぎゅっと力を込めると、大袈裟にキルゲの身体が跳ねた。
「なんでそうマイナス方向に向かっちまうんだよ! 要は俺のこと、本気で好きになっちまったって事だろうが。」
ぐすっと洟を鳴らすのが聞こえてくる。
「…貴方の重荷になりたくない」
「もうじゅーぶん重いッ! 思ってたより数倍重い。でもそれでいい。そんだけ想ってくれてるなんて、俺は幸せもんだ」
「申し訳、ありません…」
「だぁから謝るなっての。…ほら、こういう時なんて言うんだっけ?」
一度身を離して真正面から見据える。いたずらっぽく訊ねると、キルゲは小首を傾げた。暫くして合点がいったのか頬を赤らめて俯く。それを逃さぬように下から上目遣いに見上げて先を促す。
「俺に?」
「貴方に…出逢えて、幸せ、です…」




よくある痴話喧嘩を書いてみたかったんですが何だこりゃ…。告白を思い立ったのはバンビちゃん達にせっつかれたからとかであってほしいなぁ。
普段は聡い人だけど、恋愛になるとちょっとズレてたら可愛いなぁというのを表現したかったです。
お題元はこちら様です。
https://shindanmaker.com/392860

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