ふたりと一匹







ナク+キル+αです。



「ん?」
不躾な程の好奇心を隠そうともしない瞳がこちらの姿を捉えたとき、やれやれ、と思った。
居心地の良さそうな膝を見つけて、そこを陣取ってのんびりとしている最中だったのに。声が聞こえた瞬間、僕を撫でていた手が止まってしまったのが残念でならない。
「猫か、珍しい組み合わせだな」
声の主は挙句そう言いながら歩み寄ってきた。
「御機嫌よう」
再度僕を撫でながら優雅にそう返したのは、僕の臨時の飼い主。ソファに深く腰掛けて足を組み、その膝上には僕を載っけている。白い毛皮を、白い手袋をはめた手が何度も行き来する。時折喉元を擽るように掠めていくのが堪らなく気持ちがいい。もっとそうして欲しくて寝返りを打ちそうになるが、そこまで媚びるのは僕のプライドが許さなかった。
「迷い猫でしょうか」
確かに、僕は居心地の良さそうな寝床を探して彷徨い歩いてきた。たまにこうして小さな体で、その姿でしか堪能できない楽しみを探すのだ。場所は正直どこでも良かった。日当たりのいい窓辺や書類の入っていた箱の中とか。最終的な目的地が誰かさんの膝の上なんて考えもしなかったのだけど。
「もしくは誰かの飼い猫か」
臨時ご主人、もといキルゲの足元にしゃがみこんで、僕を覗き込む彼。何だか落ち着かなくてぷいっと顔ごと視線から逃れる。
「おっ、こいつ俺のこと気に入ったのか」
は?と言いたかったが、喉から出たのは何とも可愛らしい声だった。それを聞いたキルゲが僕の頭を優しく撫でる。自分の今の姿を一瞬失念していた。何を言っているんだこの男は、と今度は目前の彼をまじまじと見上げる。
「どういう事です?」
「猫ってのは、視線を合わせないのが友好の証なんだってさ」
思いっきり見つめてやっても良かったかなと思った。
「そうなのですか、知りませんでした。アスキンさんは物知りなんですねぇ」
興味深げに頷いているキルゲ。素直な感想を零す彼を微笑ましく思っていたら脇下に違和感。次の瞬間、目の前にはキルゲの顔。色眼鏡の向こう、淡い色合いの瞳がぱちくりと瞬いている。急なことに反応が遅れたが、どうやらアスキンが僕を持ち上げたようだった。
「女子からの受け売りだけどな」
背後でアスキンが照れくさそうに答えている。彼の意図が分かった。試したいのだろう、僕の、臨時ご主人への友好度を。そう悟ってからすぐに、僕はキルゲから視線を外した。
「おや、案外懐かれていたのでしょうか」
「まァあんだけべったりだったしな」
「動物にこういった反応を返してもらうのは初めてですが、嬉しいものですね」
なんの屈託も無くにこりと微笑むキルゲに、面映さを覚える。でももう少し横目で眺めていてもいいかな、と思ったところで膝に降ろされてしまった。不満を顕に一声あげる。
「ところで、前から気になってたんだが」
僕の声など気にも留めていない様子で、アスキンがキルゲに向き直った。いつにもなく真剣なその表情を見て、取り敢えず寛いで様子見の態勢をとる。姿勢はいわゆる香箱座りというやつだ。
「あんたのそれは、友好の証ってわけじゃぁねぇよな」
「それ、とは?」
「視線を少しだけずらして、俺を見ているようで見ていない。」
そう言ってアスキンはソファに腰を落ち着けた。ふぅと一息ついたところでまた口を開く。
「懐いたと思ったらするりとすり抜けていっちまう。まるで猫を相手にしてるみてぇだと思ってた」
「…あまり、まじまじと見つめるのも失礼かと思いまして」
キルゲの声音が困惑に震えている。あるいは図星をつかれたことへの恐怖か。
「あぁ、そんなに怯えないでくれ。別にアンタを責め立てようってんじゃないんだ。ただ、」
懇願するように言って、そこで言葉が途切れる。暫くして諦めたのか大きな溜息を一つ落とした。いつもの軽口はどうしたのだろうか。
何かに言葉を奪われてしまったかのように、二人は黙したままだ。どこか張り詰めた空気が嫌で、続きは?と声を上げてみた。僕の鳴き声で言葉を思い出したのか、キルゲがぽつりと呟いた。
「…猫、ですか。初めて言われました」
「初対面からずっとそんな感じはしてたぜ。」
「懐いたかと思えば…ふむ」
僕を柔らかく抱いて、何かを思案するように視線を僕へと落とす。
「懐く事とは、野生を失う事と同義です。誰かに夢中になって魅入ってしまえば、いつ足下を掬われてもおかしくなくなってしまう。だから彼らの愛情表現は、我々からすると非常に不器用に、映るのではないでしょうか」
「……その考えってさ、アンタにも当てはまるのかい?」
「さて、どうでしょうねぇ」
「やっぱりアンタ、猫みてぇ。コイツのほうがよっぽどか素直だ。」
ぐにぐにと撫でられて、堪らずその場から飛び降りた。名残惜しいその場所に、後ろ髪を引かれる思いで場をあとにする。僕が去った後も、二人は猫談義に花を咲かせているようだ。
「だけどアンタのそういう所、嫌いじゃないぜ」
「ありがとうございます。しかし私からすれば、貴方こそ猫らしいと思えますがねぇ。飄々として掴み所がない」
「そりゃお互い様じゃねぇかな」

白猫の姿が緩やかに人の形をとると、幼いその顔が不満げに唇を尖らせる。
彼らを結んでやるつもりはなかったのに。
あとは勝手にやってくれ。

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