やさしいうそ

「近頃、ぜんぶが赤いのです」
「そりゃあんたグラサンのせいじゃぁないのかい」
そうは言ったものの、こちらを振り返った彼の目元に、あの真っ赤な色眼鏡は載っかってはいなかった。
「赤いのです。世界のすべてかと錯覚してしまうほどに」
真っ白な己の手を見たあと、視線をふらふらと彷徨わせる彼。
ふと、その目線が、俺を捉えて止まる。
「おやおや、貴方のお顔も真っ赤ですよ。大丈夫ですか?」
懐からこれまた真っ白なハンカチを取り出して、こちらの顔をやさしく拭ってくれる。
「おう、ありがとさん。」
くすぐったさに笑みながら礼を言う。しかし彼の関心はハンカチに移っていた。
「あぁっ、これも赤い。すみません、貴方の赤を拭って差しあげられなくて」
「大丈夫さ。」
珍しく狼狽え、本当に申し訳無さそうに謝ってくるものだから、安心させてやりたくて極力柔らかい声を返す。
「貴方はお優しいですねぇ、それにとても忍耐強い」
「なぁに、慣れてるだけだぜ。」
「それは素晴らしい。私なんか耐えられなくて、眼鏡がないと不安になってしまいますのに」
彼はとても感心した様子で言った。
「でもあんた、今はアレ掛けてないねぇ。平気かい?」
「そういえばそうですねぇ。どこへやってしまったのか…。しかし今は少し落ち着いているようです」
「へぇ。そりゃまたどうして?」
「久し振りに赤以外が見えたのです。あなたのここに、」
そうっと、こちらの頬骨の辺りに親指で触れてくる。壊れ物でも触るみたいな慎重さだ。
「よかったなぁ」
「えぇ、ありがとうごうざいます」
にっこりと笑い合う。
「俺も久々に見たぜ。あんたの碧色」
ごく近い距離で彼の瞳を覗き込むと、照れくさそうに微笑んだ。


コメント