先生と生徒さん

陛下の能力、何となくご都合主義的に使わせていただいております。おいやな方はお戻りくださいませ。

貴方のことは勿論大切ですが、と前置いてあのひとは言った。

「あまり、期待はしないで下さいね」

十六歳、秋。俺の一世一代の告白は、何とも煮え切らない感じで幕を閉じた。

なんか悪い意味でやべぇ先公。ていうかコレほんとに先公?というのが最初の印象だった。

入学式の後。俺は、これから三年間を共にする新たな仲間たち、なんて感慨は特に無く、教室の窓際最後尾何もかも丁度いい席で頬杖をつきながら何となく外を眺めていた。あぁ、桜が昨日の大雨で台無しだ、などとぼんやり思っていたその時。

「ハイハーイ、静粛にぃ!!一年D組初!HRを始めますよう!」

高らかに教室に響き渡ったその声の主は、なんというか超エキセントリックな格好をしていた。
先ず目に入るのは、純白の軍服っぽい衣装、ご丁寧に軍帽付き。これ教育者として許されるのか?主義的な意味であらぬ誤解を受けない?と心配になる。
目元は真っ赤な丸眼鏡で隠れ、七三分けなのはいいが側頭部は剃り上げられたストイックすぎる髪型。あれ?あともしかして口紅塗ってる?こういう芸能人どっかで見た事ある気がする。
混乱しているのは当然ながら俺だけではなかったようで、教室全体が水を打ったように静まり返っていた。皆ついさっきまで思い思いの場所、姿勢、話し相手と談笑していた格好のまま固まっている。
俺は他の奴らよりは早めに我に返り、ああいう手合いには関わらないのが吉と早々に見切りをつけたつもりで窓に顔を向けた。
そのままぼぅっとしようと目線を遠くに遣るが、依然静まり返る教室に違和感を覚えて教室に意識を戻す。いやな予感がした。

「うわっ」

「出席番号五番、アスキン・ナックルヴァールくん」

予感は見事に的中。目の前に気をつけの姿勢で立っていたのはくだんの先公だった。あまりの事に声もなく驚いている俺をよそに、彼は三十度ほどきっちりと腰を折り、着席している俺に視線を落として言う。

「ポマードの類いは校則で禁止されています」

そうにこりと微笑むと、彼は俺の態と下ろしている一房の前髪を、白手袋の手で後ろへと撫で付けた。
俺は何故か彼のその仕草にどきりとした。思いの外やわらかい囁くような話し方も、さっきまでの劈くような声のイメージをいい意味で覆す一助となったからかも知れない。
この距離だからかろうじて透けて見えた彼の伏し目がちな瞳が涼しげで、それでいてなんだかあたたかみのある感情を湛えているように見えたのも大きかった。
珍しくものすごく緊張した俺は、ぎりぎりの思いで口を開いた。

「こ……これ、ワックス。です」

きょとりと色眼鏡の奥で目を丸くする彼を見て、しまった、と思った。が。

「そうなのですか。いけませんねぇ、最近の流行にはとんと疎くて」

彼はそう言ってはにかんだ。
ワックスくらい流行も何もないと思ったが、そこは空気を読んで口を噤む。
何より頬をほんのり染めて「たはは」と照れたように微笑う彼に、目を奪われて言葉を口にする事ができなかったのだ。

それから三ヶ月ほどたった頃。昼休み。

「ふぃ~、涼しい~~」

俺は教室棟から渡り廊下を通って歴史教材室にやって来ていた。目的は涼むため?在室中の教師に質問するため?いやいや、それも合ってるけれども。一番の目的は。

「ナックルヴァールくん、クーラーなら教室にもあるでしょう」

困り眉を更に困らせて、それでも微笑む俺の先生。
紹介を忘れていた。名をキルゲ・オピーというらしいのは、入学直後のあの衝撃のHRで明かされた事実だ。担当教科は世界史。授業中のテンションは高めで生徒を置いてきぼりにすると見せかけて、手描きのイラストを使った説明が何気に解りやすいとひっそり評判である。歴史上の人物を、素朴なタッチで描く時はすごく活き活きとしている。俺は黒板に向かうそんな彼の後ろ姿を微笑ましく見守るってわけだ。
昼休みや放課後、ひとり作業する彼を目当てにひょこっと顔を出す俺を、彼は困った風を装いながらもこっそり歓迎してくれる。ついでと言いつつコーヒー党の俺のために、ためだけに、カフェ・オ・レを淹れてくれたりもする。彼自身は紅茶派にもかかわらず。もう俺は有頂天だ。最初はびっくりしてドキドキしたのを好意と勘違いしたのかもと考えた時期もあった。だがもう今ではデレデレにならざるを得ない。
これ押したらイケちゃうんじゃねぇか、とか思ったりもするが、実行に移した事はない。押すって、具体的に何をすればいいのか、あんまり分からないからってのもあるが。
とりあえず俺の目下の望みはズバリ、ファーストネームで呼んでもらう事!
彼は必ず生徒をファミリーネームで呼ぶ。それは俺にも適用されている、今のところは。そういうひとが呼ぶファーストネームって、めちゃくちゃ特別感あるよな。な。
イカれ軍人みたいなキャラと容姿をしておいて、意外と慎ましい一面(と言うか本性?)を持つ彼は、何故か俺に甘い。これは同じクラスのやつも言ってたから確かなはずだ。
俺は俺が結構イケてる事を知っている。ついでに言えば、そんな俺のおねだりに彼が弱い事も知っている。
照れが先行してなかなか言えずにいたが、今日こそは。

「なーぁ、キルゲ先生?入学式の日、何で名簿も見ずに俺が俺って判ったんだ?」

いつも通り、カフェ・オ・レの準備をしてくれながら、彼は小首を傾げる。はぐらかす気のようだがそうは問屋が卸さない。その後ろ姿に俺は更に言葉を投げてみる。

「みんなの前でさ、『アスキン・ナックルヴァールくん』って」

彼は俺専用になったマグカップと自分用のティーカップを持って、こっちにゆったり歩み寄って来た。俺が転がっているソファの前のローテーブルにカップたちを静かに置いて、向かいのソファに腰を下ろす。長い脚を悠然と組むのが様になりすぎていて眩しいぜ。

「自分が受け持つ生徒たちの事は覚えていて当然かと」

んな面倒い事、というツッコミはこの人には通用しない。教科書と参考資料集などの中身を全暗記しているのだ彼は。
話の切り出し方間違えたー!と猛烈にへこんでいると、俺のそんな内心を知ってか知らずか、彼が助け船を出してくれた。

「どうして今その事を?」

心の中で大はしゃぎしながら言葉を選ぶ。

「いや、アスキンって呼んでほしくて」

やらかした。本音ダダ漏れってレベルじゃねえぞ。まさかのド直球。

「アスキン……くん。如何です?」

その時俺の耳には彼の声が福音の様に感じられた。思わずおかわりをしてしまうほどだ。

「アスキンくん」

「も、もう一回」

「アスキンくん?」

「おかわり!」

「あ、アスキン、くん」

調子に乗って何度もおかわりをしているうちに、彼がの頬が仄かに染まるのが分かった。正直に言わせてもらうと、もんのすごくかわいい。
この問答は、昼休み終了の鐘が鳴るまでの数分間続いた。
別れ際、俺の背に向けて彼は言った。「ふたりの時だけにしましょうね」と。振り返れば、耳まで紅くなっている彼が俺を見つめていた。彼を抱きしめたい衝動に駆られながらも、俺はニコリとぎこちなく笑って部屋をあとにした。

「平和な世界を。貴方が安心して生きられる世界を、望んでしまったのです。全てを識る陛下から選択肢を与えていただいた愚かな私は」

彼の言葉の意味が分からず、俺は下手過ぎて不自然であろう笑みを浮かべて首を傾げてみせた。
彼は今にも泣き出しそうに眉根を寄せて、下唇を噛んだ。
唇を薄く開き、震える吐息をか細く吐き出して、彼は続ける。

「貴方と私は、あちらの世界では騎士団に所属し、陛下の御為に働く駒でした。それはこの上なく誇らしい事です。ですが」

そこで彼は言葉を区切った。しばらくの沈黙の後、更に続ける。

「敵対勢力に宣戦布告した陛下の命で、我々はそれぞれの戦場に赴きます。私は力不足から早々に死んでしまいましたが、強い貴方は陛下の親衛隊に抜擢され、そして……」

言葉に詰まる彼の台詞の続きは何となく察しがついた。
納得しているわけではなかったが、鬼気迫る彼の様子に、信じるしかなかった。
道理で、彼から俺への好感度が最初からMAXだった訳だ。
俺はどっかの国の軍人で、戦場で散っていったのか。そして彼も。
そう自分を無理やり納得させた瞬間、頭をぶん殴られたような痛みに襲われ、思わずその場に蹲る。
映像と音声が、勝手に脳内になだれ込んでくる。

今と変わらぬ軍服姿で俺の腕の中に収まる彼の、嬉しげにはにかんだ表情。
『好きだぜ』これは俺の声か。不安げに揺れているのは何故か。
『えぇ、私もです』彼のうっとりとしたとろけるような声音。
彼が俺から離れてゆく。
美しく敬礼し、光り輝く門の向こうへと消えるのを、見送ることしかできなかった。
映像が乱れる。
突如として今の俺の心を占めたのは、凄絶な虚無感。
彼は死んだ。仲間なんて言えた集団じゃなかった自覚はあるが、同族の誰にも看取られることなく。独り、天敵の兇刃によって。

「──くん。アスキンくん!」

ハッと目を見開く。おそるおそる視線を下げると、彼が座り込んだ俺を抱きしめてくれていた。その確かなぬくもりに、俺は縋り付いた。彼は今、ここにいる。俺のそばで、おそらくは俺のために泣いてくれている。その事実だけで、十分だった。

「ぁ、わ、悪ぃ。取り乱しちまった」

今本当に取り乱したいのは彼の方であろうに。

「……何で、その話をしてくれたんだ?」

「申し訳ありません。時間があまり残されていないようでしたので」

彼によれば、この世界を創り出した『陛下』が敗北し、あらゆる事象が元に戻ろうとしているのだという。
彼は言う。「今ならまだ間に合います」と。彼の能力であっちとこっちを結ぶ出入口のようなものを固定しているから、と。
だが、俺は元の世界に対する未練はこれっぽっちも無かった。
彼の、キルゲのいない世界に価値などあるものか。
たとえ自分という存在が消えて失くなろうとも、それが彼と一緒なら、何も思い残すことはない。

「あんたを置いて行く訳がないだろう」

「ですが……!!」

「また、俺を独りにする気か」

「……本当に、よろしいのですね」

「あぁ。あんたとの学園生活、すっげぇ楽しかったぜ」

「私も、です。学生服姿の貴方、可愛らしかったぁ」

彼が能力を解除したことで崩壊が近付いているらしい。景色のあらゆる箇所にノイズが入る。

「それじゃあ、またな」

「えぇ。それでは、
また」

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