second contact






真紅の廊下。
濃い赤色の綿毛。もとい、髪。漆黒の衣装。
目にした瞬間、足を止める。
しまった。これでは私がアレを恐れているようだ。
…それも否定できないでもないが、今のアレは我が同胞でもあるそうではないか。それなら恐れる必要はない。背景と同じ真っ赤な衣装を身につけた者達と会話をして笑いすらこぼしている綿毛は、幸いこちらに気づいてはいないようだ。
踵を返そうとしたその時、綿毛が「あ」と声を上げた。自分ではない、目も合っている気がするが違う、恐らく自分の後ろに別の誰かがいるのだ。そう考えて再度踵に重心を傾け、今度こそ進行方向を変えて歩き出す。後ろからは「おい」だとか「無視すんな!」だとか聞こえてくるが、私には関係ない。別に私は彼を無視したわけではないのだ。最初から彼は私を見ていないし、私もふさふさとした毛玉のようなものを視界の端に映しただけなので、二者の間に会話が生まれようもない。
などとこちらが穏便に衝突を回避しようとしているにもかかわらず、肩に手を置かれてしまう。この手を振り切って進めば、こちらに非があるように見られるだろう。まったく、こちらの事情もお構いなしなのはあの戦闘を思い出すので止めていただきたい。
「……何か」
「何か、じゃねぇだろ。無視してんじゃねぇよ」
「すみません、気づきませんでした」
「目合ってただろッ」
「合ってません」
こちらの言葉に逐一大袈裟な反応を返す様に少し溜飲が下がる。
「だって一瞬動き止めてたし…って、んな事今はどうでもいいんだ。んーと…」
「?」
「その…ありがとよ。」
「はい?」
何を行っているんだこの男は。礼を言われる筋合いは全くないはずなのだが。
「あんたのお陰で命拾いしたらしいんだ。あのあんたの檻?の霊圧で滅却師として目覚めたって髭のおっさんが言ってた」
後頭部を思いっきり殴られたような衝撃を受ける。その髭の…とはまさか陛下のことなのか、という事よりも。
「わ、私の…せいで…?」
「お陰だって。それ無かったら俺あのおっさんに殺されてたかも」
待て待て待て待ってくれ。そんな馬鹿な事があってたまるものか。足止めの任務を仰せつかっていたのに取り逃した上、その対象の能力を覚醒させたなど、許されるはずがない。どう考えても確実に処刑だ。ぱしりと顔を手で覆うと、彼が不思議そうに訊ねてくる。
「どうしたんだよおっさん、大丈夫か?」
「…大丈夫ではありません」
「おいおい、声震えてんぞ。…あ、もしかして怒られるかもって心配してんのか?平気だって。別に怒ってなかったし、むしろ歓迎っぽかったぜ」
怒られるなんて生易しいものではない。処刑だ。死を恐れてなどいないが、陛下の御為に働けなくなることは何よりも恐ろしい。それこそ死んだほうがマシというものだろう。でも、あぁ、どうせ死ぬのなら陛下の手で…。いやいやなんと畏れ多いことを考えているのだ私は。私などの為に陛下の御手を煩わせてはならない。自分の始末は自分でつけなければ…。
「っておいッ!何やってんだよ!?」
「…見ればわかるでしょう」
「いや分かんねぇから…っていうかマジでやめろって、剣離せ…!」
思いの外強い力で軍刀を取り上げられてしまった。手から離れた瞬間、軍刀を形作っていた霊子が霧消する。
「邪魔だてしないでください…」
「するに決まってんだろ! 何で礼言われて自害しようとしてんだよあんた」
「貴方を滅却師にしてしまったからです。敵に塩を送るどころではありませんよ…」
「だから別に気にしなくて良いっつってんだろうが」
「組織とはそういうものなのです」
「いや意味わかんねぇから」
憮然とした顔で返してくる、歳相応の表情に少しだけ視線を惹きつけられてしまった。戦いの中で見たのは、鋭利な表情ばかりだったように思う。こちらをからかうような表情もあったが、戦闘中の駆け引きのためのもので、少年らしさとはまた異なっていた。生意気さは変わらないが何となくこちらの方が好感を持てる、かも知れない。そもそも彼も滅却師であるというのだから、虚や死神に対する苦手意識を持つ必要はないはずだ。憤っているようだったのも現在憮然とした表情をしているのも、こちらの接し方に問題があったからだろうか。それならば一言謝罪をしておいたほうがいいのか。というのは一先ず置いて。
「…あの、手を離していただけませんか」
先程からずっと、手首を一纏めにして掴まれている。力を込めているがなかなか外すことができない。どれ程強く握りしめているのか。他人の命を慮る必要などないのに。そういえばあの時も守るべき者達の為に死にもの狂いだった。敵の命にすら執着するこの必死さはどこから来るのだろう。殺気のこもった斬撃を幾度となく放ってきていたくせに、戦いの場を離れるとこうも甘いとは。
「…離さねぇよ。離したらまた同じ事すんだろ」
「…もうしません。」
少なくとも貴方の前では。そう言ってもなかなか離してもらえない。通りすがりの聖兵がこちらに気づいてそそくさと去っていく。人通りの少ない場所でよかった。このように至近距離で覗き込まれることは滅多に無いためなんとも居た堪れなくなり視線を彷徨わせる。何とかしたいのにこういう時に限って適切な言葉が見つからない。掴まれた手首が熱い。久しく感じた覚えのない他人の体温が何故か非常に恐ろしく、意識すればする程熱を感じて身が竦んでしまう。
それでも何事かを言うため視線を彼に戻すと、思っていたよりも近くに彼の顔があって思わずぱちりと瞬きをする。こちらをじっと見上げる瞳の真摯な光に目を灼かれそうだ、などというあり得ない想像が頭を過って下唇を軽く噛んだ。ふと、彼の手が手首から離れた。熱から開放されて安堵するのも束の間、そのままこちらの顔に手を伸ばされて後退ろうとして気づく。いつの間にか壁に背をあずける状態になっており、これ以上彼の手と視線から逃れることは出来そうもない。手は私の眼鏡のフレームに軽く触れた後、くいと持ち上げた。赤を奪われた景色の眩しさに今度こそ目を灼かれて反射的に瞼を閉じる。一瞬映った光景は、白と橙に染まっていた。あぁ、あれが彼の色なのだと思うと、何故かもう一度見てみたくなってしまった。薄らと瞼を開けば橙の綿毛とこちらを見上げる真っ直ぐな瞳が目に飛び込んでくる。
何を言うべきかわからずただじっと見つめていると、その明るい橙色の綿毛があっけらかんと言葉を放った。
「…ところでおっさん、名前なんていうんだ?」



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